1 陽花

SMAP、解散を発表I

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<解説>「休業はファンに失礼」潔く決意固めた

 「最初はポジティブな話し合いだったのに、だんだんとネガティブな方向に変わっていってしまった。時計の振り子のように、彼らも悩んだんじゃないか」−。メンバーとの協議に立ち会った関係者は、こう漏らした。

 1月にグループ活動の存続を自ら決断し、生放送で表明したSMAP。当然、事務所側は彼らが25周年に向けたグループ活動を再開すると信じていた。6月初旬、騒動後初めてファンの元に届いた会報でも、グループとして前を向いていくというメッセージがつづられていた。

 ジャニー社長の「解散はない」との発言を受け、5月から事務所や社長が具体的な話をメンバーと詰め始めたが、皮肉にも、これにより「元に戻れない」という思いが明確になってしまったようだ。

 5人そろって協議のテーブルについた時も、どこか遠慮がちで積極的な意見は出ず、3週間ほど前からは「解散」か「休止」かという二者択一の事態になった。事務所側は休養し、海外で語学や演劇を学ぶことも勧めたが、10日に大半のメンバーが「いつ再開できるかというのが、自分たちには見えない。休業という言葉で期待をもたせるのはファンに失礼だ。中途半端に期待させるよりも潔く解散を選びたい」と決意を固めてしまった。

 1月の独立協議で1人事務所残留を決め、解散回避のために事務所上層部とメンバーの橋渡しをした木村は、一貫してグループ存続への強い思いを持っていたそうだが、最後には他のメンバーの意向をくんで冷静に対処したという。1月の騒動では独立派のリーダーとみられていた中居正広(43)だが、「ニュートラルな立ち位置で、できればこのままやっていきたい、という感じだった」と関係者は明かす。

 誰と誰が独立派で、誰と誰が不仲という単純な構図ではなく、また1月の解散騒動が原因の全てでもなく、昨年からグループでいることの疲労感は隠せなくなっていたようだ。SMAPほどのヒット曲があれば、新曲を出さなくても過去の財産で十分やっていける。しかし名前だけの死に体のグループがファンに夢を与えられるかというと、そうではない。最後には事務所も、デビューから25年間もトップアイドルとして貢献してきた彼らの決断を苦渋の思いで受け入れるしかなかった。 (宮崎美紀子)

<SMAP> 光GENJIのバックを務めていた「スケートボーイズ」から選抜された6人で1988年4月に結成。グループ名は「Sports Music Assemble People」(スポーツと音楽のために集められた人々)に由来する。91年、「Can’t Stop!!−LOVING−」でデビュー。96年に森且行がオートレーサーへ転身して脱退。デビュー曲から昨年9月に発表した最新曲「Otherside/愛が止まるまでは」まで、55曲連続で「オリコン」トップ10入りの最高記録を持つ。NHK紅白歌合戦には91年から23回出場(2001年、04年は辞退)した。

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