1 鈴木♂

千草忠夫氏のこと

'84〜'86年頃、SMスナイパー誌に乾正人という作家が書いた「奴隷牧場」という
SF&SM小説が連載されておりました。

この小説は今から二百年後の未来世界のお話で、富山湾の海底にある独裁制の
海底都市国家のお話なのですが、当時の私は「舞台が何故、富山湾なんだろう?」
と不思議に思っておりました。
しかし最近になって、その謎がやっと解けました。
乾正人というペンネームは千草忠夫氏の別名義のペンネームだったのです。

この千草忠夫氏という小説家は奇譚クラブの時代から三十数年間に渡り
単行本にして合計四百冊以上のSM小説を書き続けたという大作家なのですが
同業の団鬼六氏とは正反対で、小説が映画化されたり御本人が世間に表れる事は
一切無く、謎の多い作家だったのです。

近年になってその理由が私にもやっと分かりました。
千草氏はプロの小説家ではなく、本業は北陸地方の高校教師だったのです。
前述した「奴隷牧場」の舞台が何故、富山湾なのかもこれで理解できました。
ちなみに千草氏はSMだけではなくSF小説もお好きだった様で「奴隷牧場」
もA・C・クラークの「海底牧場」からヒントを得て書かれたみたいです。
(PC)
2 鈴木♂
千草忠夫氏は'95年に64才という若さで亡くなられましたが、本業の高校教師
(最後は教頭だったそうです)と人気SM作家という二つの職業を併せ持つ
という激務が彼の寿命を縮めたのは間違いないと私は思っています。

団鬼六氏の男性的な文体とは対照的に女性的な文体の千草氏の小説は
今、読み返してみても責められる女性の心理描写が細かく描かれていて
女性ファンが多かったという話も納得できます。

団鬼六氏が千草氏への追悼文の中で「彼は実践派ではなく空想派であった」
と述べられたそうですが、私の考えでは逆にSM行為を実践しないという
事が、千草氏の自分の理想とするSM世界を自分の中で維持でき、それを
SM小説という形で三十数年間も書き続ける事ができたのではないのか?と
私の様な駄文書きは想像しております。

SMの様にそれぞれ各個人が深い精神世界、自分だけのSMの世界を持っている
というカテゴリに於いては、お相手さんと付き合ってSM行為を実践する
場合には相手のSM観を受け入れたり、自分の中のSMの世界を修正したりという
作業(多少の妥協)はお互いに絶対、必要だと私は思います。

なお千草氏は没後の評価では、決して自分の生徒に手を出したりする様な
教師ではなく、教師としても作家としても立派な人物であったとの声を聞きます。
やはり、その人物の評価とは棺の蓋が閉まってから定まるものですね。
(PC)