1 鈴木♂

子供の頃の思い出

昨日は久方ぶりにまとまった雨が降ったというか、大雨警報が発令されていた
新潟県内なのですが皆様も如何お過ごしの事でしょうか?。

鈴木♂の勤める職場では豪雨で排水溝が逆流し、倉庫や物置が一部冠水する
という状態となったので、雨の晴れ間をみて排水溝に溜まった泥やゴミを
すくい上げるという、農作業用語で言う「いざらい」を急遽行いました。
「いざらい」を行ってからは雨が小降りになったので職場の敷地内に溜まった
水も序々に引いて行ったのですが、こうした思いがけない天災に対する備え
というものはやはり必要なのではないのかなと鈴木♂はちょっと思いました。

鈴木♂が子供の頃に”8.28水害”或いは”昭和42年羽越水害”という
死者・行方不明者数130名以上という大災害がありました。
鈴木♂はその時小学校1年生だったのですが、夜の8時を過ぎてから避難命令が
出て、自分が通っている小学校の体育館に避難したという思い出があります。

その頃はインターネットどころか電話器さえ無いという家庭が大半でしたから
避難命令は消防団の方が一軒一軒各家庭を回られて伝達されるという時代だった
ので、鈴木♂の家族もそうした伝達を受けて小学校に避難したのではないかと
思います。
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2 鈴木♂
現代とは違って避難所では毛布や食料の配給も無く、夜が明けて帰宅した家には
床下浸水の跡が残っておりました。
その日は結局夕方まで食事を採る事が無かったのですが、あまりの緊急事態が
突然に発生したせいなのか不思議な事に空腹感は全く感じませんでした。
鈴木♂の親戚にも上記に書いた様な避難命令を伝達する消防団員の方がいて
彼はその任務の途中で不幸にも殉職してしまいました。
山間部にある家庭を一軒一軒回る途中で濁流に飲まれてしまったのだそうです。

以前、鈴木♂よりも二つ年上の友人に当時の思い出話を聞く機会があった
のですが、彼は鈴木♂が避難所から帰宅した朝に近所の子供たちと一緒に
近くにある大きな川の状況を子供たちだけで偵察しに行ったのだそうです。

子供たちが川の堤防に着いて濁流を眺めていると、その中でも一番小さな子が
「あそこにマネキンが流れて行くよ!」と突然指を指したのだそうです。
友人はその子が指を差す方向を見たのですが、それはマネキンではなく
今回の水害による犠牲者の変わり果てた姿でした。
友人はその子の事を考えて敢えて現場では真実を語らなかったそうなのですが
大惨事が起こった現場というものは今も昔も本当に悲惨なものだと思います。
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