1 鈴木♂

SM雑誌のこと 2

鈴木♂が上京した'79年という年はビニール本が大ブームの頃で、神田には
ビニ本の専門店があったり、女性入店お断りなんて本屋さんもありました。
店内にいるお客さんの顔が外から分からない様に、地上50cm位の高さまで暖簾を
入り口に垂らしている本屋さんとかもあったと思います。

ここで若い方の為にちょっと説明致しますと、ビニール本とはビニール袋に
包まれた20P位の薄い写真集で、法的にぎりぎりセーフなのかアウトなのか
判別に苦しむ様なヌード写真集の事です。
その頃、新潟の田舎町から上京したばかりの貧乏な大学生一年生だった鈴木♂は
土曜深夜の渋谷や新宿のにぎわいにカルチャーショックを受けていました。

その頃のSM雑誌はビニ本ブームというアダルト雑誌ブームに後押しされて
訳の分からないSM雑誌がやたらと多かったという気が致します。
その頃の鈴木♂は十代後半の未熟な青年でしたから、今から考えると全くの子供
でSM雑誌の評価を見極める事など到底できませんでした。

そんな中であっても、私にとって幸いだった事は美濃村晃氏(奇譚クラブ初代
編集長)と濡木痴夢男氏がペアを組んだ最後の雑誌「SMコレクター」をリアル
タイムで購読できたという事でした。
この雑誌は今でも評価が高く、現在web上でちょっと検索して見ますと当時新刊で
600〜700円位の雑誌でしたが、今でも古本で1000〜3000円位で売っております。

鈴木♂は当時貧乏学生で、建築板金(簡単に言うとトタン屋さん)のバイトとか
しておりましたが、そのバイト代も食費と本代に消えてしまい、SM雑誌という
贅沢品?は中々買えなかったというのが悲しい現実でした(笑)。
(PC)
2 鈴木♂
家庭用ビデオデッキが登場したのは'70年代後半の事なのですが、発売当初は
高価で、なかなか一般家庭では買えませんでした。

じゃあSMマニアはビデオが無い時代はどうしていたのかというと成人映画館に
SM映画を見に行くか、自分で8ミリ映写機を買って、数少ないSM物の8ミリ
フィルムを上映するという事をしていました。
このSM物8ミリフィルムで当時有名だったのが、今はもう亡くなられましたが
長田英吉さんが主催するオサダ・ゼミナールで、この方の娘さんは現在女流縄師
として活躍されております。
私が以前、「自分は、本当はMなんだけど仕事だからS(縄師)をやっている」と
公言されている縄師さんがおられると、どこかで書いた事がありますが
その縄師さんとは長田氏の娘さんの事です。

鈴木♂も'83年に大学をなんとか卒業して、すぐにVHSのビデオデッキを買い、
当然の事ながらすぐにSMビデオを買い求めました。
確か私が初めてSMビデオを買ったのは新潟駅前の石丸電気だったと思います。

そのビデオは女性二人が緊縛されたり浣腸されたりするという、ありきたりの
SMビデオだったのですが、そこに登場して女性を責めるS男役の男性が当時、
全く無名だった明智伝鬼氏だったという事を鈴木♂が知ったのはそれから数年後
の事でした。

このビデオは今でも持っておりますが、ビデオ本編を見てもパッケージを見ても
どこにも明智伝鬼という名前は入ってはおりません。
縄師という職業があくまでも裏方さんだったという時代のお話ですね。
(PC)