2 元歎
>ある一定以上の昇進を嫌がった
慎み深くて昇進を嫌がったなどということはありえないと思います。趙雲の階級は、彼の功績を表したものだと思いますが。
>撤退戦では、名声は上がっても功績は上げづらかった
撤退戦は功績は上げにくいにしろ、才能は認めらることが多いと思います。
>総大将が無理だとはおもいません。
いえ、無理です。統率力はともかく、戦略の点でダメですね。これは致命的です。
>趙雲は部隊を率いての戦でこれといった失敗が無いので人並み以上の統率力があるのは明らかです。
これには賛成できます。
子龍さん>子龍さんの考えには天草さんも賛成されており他の人も何も言わないので、個人的な見解ではないですよ。むしろ僕の方が異端のようです^^ あまりお気になさらないで下さい(^^)
慎み深くて昇進を嫌がったなどということはありえないと思います。趙雲の階級は、彼の功績を表したものだと思いますが。
>撤退戦では、名声は上がっても功績は上げづらかった
撤退戦は功績は上げにくいにしろ、才能は認めらることが多いと思います。
>総大将が無理だとはおもいません。
いえ、無理です。統率力はともかく、戦略の点でダメですね。これは致命的です。
>趙雲は部隊を率いての戦でこれといった失敗が無いので人並み以上の統率力があるのは明らかです。
これには賛成できます。
子龍さん>子龍さんの考えには天草さんも賛成されており他の人も何も言わないので、個人的な見解ではないですよ。むしろ僕の方が異端のようです^^ あまりお気になさらないで下さい(^^)
(PC)
3 青龍
またもや伝わりにくいとこがあったようなので先ずはそこからm(__)m
自分の中に、名声=周りの評価、功績=階級や昇進に直接影響がでるものと印象があったので(違ってたら直してください)言い換えると、名声が上がることは才能を認められることとなるので同意見ですね(結果は違ってくると思いますが)。
では他の話しですが、昇進については趙雲を考える上で出てくる、とても独特な見解なのでご理解されないのも仕方ありません。しかし、「彼の功績を表したもの」での功績を実力という意味で用いたなら(勘違いならスイマセン)それは違います。先に述べたように才能を認められても功績が上げづらい場合があるからです。
やはり総大将ですが、今度は戦略ですか(^-^)戦術より広範なんですよね?それにしても、そのよりどころを知力に見るならば確固とした記述はないものの、またシ号を例に出すとそれほど頭が悪いとは言えません。そもそもダメと言い切る理由が私には分かりません。出来れば教えてください。
自分の中に、名声=周りの評価、功績=階級や昇進に直接影響がでるものと印象があったので(違ってたら直してください)言い換えると、名声が上がることは才能を認められることとなるので同意見ですね(結果は違ってくると思いますが)。
では他の話しですが、昇進については趙雲を考える上で出てくる、とても独特な見解なのでご理解されないのも仕方ありません。しかし、「彼の功績を表したもの」での功績を実力という意味で用いたなら(勘違いならスイマセン)それは違います。先に述べたように才能を認められても功績が上げづらい場合があるからです。
やはり総大将ですが、今度は戦略ですか(^-^)戦術より広範なんですよね?それにしても、そのよりどころを知力に見るならば確固とした記述はないものの、またシ号を例に出すとそれほど頭が悪いとは言えません。そもそもダメと言い切る理由が私には分かりません。出来れば教えてください。
(D901i/FOMA)
4 朱家
青龍さん〉初めまして、よろしくです。
「限界が明らかでなかった」すでにこれが推測です。これが限界だった可能性もあるのです。むしろ客観的にみたら後者だと思いますよ(そう思いたくないけど)
陳寿の評価で、張飛、関羽は「国士の風格があった」とあり、趙雲は武臣の評価ですね。
箕谷では降格してますが「自ら申し出て降格された」の記述でもあれば裏付けになりますが、ないですし、軍需品を拒否したのも、負け戦で特別扱いするなって事だと思いますし、難しい解釈だと思いますよ。
ちなみに総大将の才に関しては、記述がない事が、証明になると思います。元歎さんもダメと言ってるのではなく、良いという裏付けがないとの事だと思いますよ。私は「限界が明らかでなかった」の裏付けがないと、議論は難しいと思います。あくまで私の考えですが…
「限界が明らかでなかった」すでにこれが推測です。これが限界だった可能性もあるのです。むしろ客観的にみたら後者だと思いますよ(そう思いたくないけど)
陳寿の評価で、張飛、関羽は「国士の風格があった」とあり、趙雲は武臣の評価ですね。
箕谷では降格してますが「自ら申し出て降格された」の記述でもあれば裏付けになりますが、ないですし、軍需品を拒否したのも、負け戦で特別扱いするなって事だと思いますし、難しい解釈だと思いますよ。
ちなみに総大将の才に関しては、記述がない事が、証明になると思います。元歎さんもダメと言ってるのではなく、良いという裏付けがないとの事だと思いますよ。私は「限界が明らかでなかった」の裏付けがないと、議論は難しいと思います。あくまで私の考えですが…
(EZ)
5 青龍
前のスレの事も出てますね(^^)書き足らないこともあったのでありがたいです。
箕谷の降格はその事実が大変重要です。さすがに自分からってことは私も考えてません。そして下賜を断ったことはその内容が重要です。内容とは慎み深さで有名な(笑)諸葛亮からの下賜を断ったということです。そこだけをみれば趙雲の慎む気持ちは諸葛亮と同等以上となります。また、諸葛亮ですら褒美を送ろうとしてしまう事をなしても降格はしました。これぞまさに(自分の見解ですが)「撤退戦では名声は上がっても功績を上げづらい」ではありませんか?私が趙雲の限界が明らかでないという理由はここにあります。戦で一人の死人も出さないのは至難の業です。特に難しいとされる撤退戦で、この上ない戦いぶりをした趙雲でさえ戦の後に降格される、箕谷の戦いを通じてそれを読み取るのは難しくありません。これより趙雲が就いていた階級はその限界ではないことが、単なるこじつけや記述がないからといった可能性だけの話ではないことの裏付けにはなりませんか?
評をそのように見れば一般的な順位(陳寿がつけたつもりかは別として)を多少は覆るのですね。ところで国士>武臣なのですか?
箕谷の降格はその事実が大変重要です。さすがに自分からってことは私も考えてません。そして下賜を断ったことはその内容が重要です。内容とは慎み深さで有名な(笑)諸葛亮からの下賜を断ったということです。そこだけをみれば趙雲の慎む気持ちは諸葛亮と同等以上となります。また、諸葛亮ですら褒美を送ろうとしてしまう事をなしても降格はしました。これぞまさに(自分の見解ですが)「撤退戦では名声は上がっても功績を上げづらい」ではありませんか?私が趙雲の限界が明らかでないという理由はここにあります。戦で一人の死人も出さないのは至難の業です。特に難しいとされる撤退戦で、この上ない戦いぶりをした趙雲でさえ戦の後に降格される、箕谷の戦いを通じてそれを読み取るのは難しくありません。これより趙雲が就いていた階級はその限界ではないことが、単なるこじつけや記述がないからといった可能性だけの話ではないことの裏付けにはなりませんか?
評をそのように見れば一般的な順位(陳寿がつけたつもりかは別として)を多少は覆るのですね。ところで国士>武臣なのですか?
(D901i/FOMA)
6 子竜
とりあえず、国士と武臣を辞典で検索…
国士…その当時、国で第一等の人物。国事に奔走する人。(この場合当てはまるのは前者ですね)
武臣…武をもって朝廷に仕える人。
とりあえず、比較の対称にはならないと思います。例えに引っ張り出された夏侯嬰で考えてみると、彼は武臣であり、長年劉邦を支えてきた最古参の内の一人ですから国士であるとも言えるでしょう。この事から考えて、趙雲も関羽も同様のことが言えるのではないでしょうか。
ふと思ったのですが、本当に総大将に戦略眼が備わっていなければいけないのでしょうか?決して必要無いと言っているわけではありませんが、これについては横で補佐する人間がいれば解消されるのではないでしょうか。戦略というのは戦闘が始まる前に行われるものですし。それよりも大切なものはやはり統率力だと思います。兵士については両者引き分けといったところですが、部下(配下の武将)への気配りという点では関羽は一歩譲らねばならないと思います(糜芳、傅士仁などが例です)。また、これに関連して言えば、関羽は人に実力以上のものを求める所があります。しかもそれに応えないと処罰です(これが原因で糜芳、傅士仁は投降)。まぁ、だからと言って趙雲がそうでは無いと言えるわけではありませんが。
>>2
異端だなんてとんでもない!十人いれば十人の見解が有るわけですから。これからも熱く討論していきましょう!私、あんまり参戦しないですけど…。
長文失礼しました。
国士…その当時、国で第一等の人物。国事に奔走する人。(この場合当てはまるのは前者ですね)
武臣…武をもって朝廷に仕える人。
とりあえず、比較の対称にはならないと思います。例えに引っ張り出された夏侯嬰で考えてみると、彼は武臣であり、長年劉邦を支えてきた最古参の内の一人ですから国士であるとも言えるでしょう。この事から考えて、趙雲も関羽も同様のことが言えるのではないでしょうか。
ふと思ったのですが、本当に総大将に戦略眼が備わっていなければいけないのでしょうか?決して必要無いと言っているわけではありませんが、これについては横で補佐する人間がいれば解消されるのではないでしょうか。戦略というのは戦闘が始まる前に行われるものですし。それよりも大切なものはやはり統率力だと思います。兵士については両者引き分けといったところですが、部下(配下の武将)への気配りという点では関羽は一歩譲らねばならないと思います(糜芳、傅士仁などが例です)。また、これに関連して言えば、関羽は人に実力以上のものを求める所があります。しかもそれに応えないと処罰です(これが原因で糜芳、傅士仁は投降)。まぁ、だからと言って趙雲がそうでは無いと言えるわけではありませんが。
>>2
異端だなんてとんでもない!十人いれば十人の見解が有るわけですから。これからも熱く討論していきましょう!私、あんまり参戦しないですけど…。
長文失礼しました。
(W31SA/au)
7 朱家
捉え方の違いはあるが、国士=蜀の将、武臣=劉備の将と考えてます。部隊の統率と、軍の統率は別と思います。
箕谷での降格は、趙雲の敗戦による降格ですよ。撤退が見事でも、兵を失った責任のほうがはるかに重いでしょう。軍需品を拒否したのも、自分に失態があるのに、特別扱いはやめてくれって事でしょう。撤退の見事さを強調されて、兵を失った事を無視されては困ります。
他の例を挙げれば「劉備は天下統一する才があった」これも分かりません。事実なのは統一してない事だけです。趙雲も同じですよ。議論すべきは「何故総大将になれなかったのか?何が足りなかったのか?」だと思います。
総大将の才のあるなしで、将の優劣が決まる訳ではありません。劉備や孔明が、駒として使ったほうが良いと判断したのであって、むしろ活躍の場を与えられた幸せな将だと考えてます。 ちなみに私も関羽より優秀だと思ってますよ。貴重なのは関羽ですけど、ドラフトするなら、法正の次に趙雲を取ります(笑)
箕谷での降格は、趙雲の敗戦による降格ですよ。撤退が見事でも、兵を失った責任のほうがはるかに重いでしょう。軍需品を拒否したのも、自分に失態があるのに、特別扱いはやめてくれって事でしょう。撤退の見事さを強調されて、兵を失った事を無視されては困ります。
他の例を挙げれば「劉備は天下統一する才があった」これも分かりません。事実なのは統一してない事だけです。趙雲も同じですよ。議論すべきは「何故総大将になれなかったのか?何が足りなかったのか?」だと思います。
総大将の才のあるなしで、将の優劣が決まる訳ではありません。劉備や孔明が、駒として使ったほうが良いと判断したのであって、むしろ活躍の場を与えられた幸せな将だと考えてます。 ちなみに私も関羽より優秀だと思ってますよ。貴重なのは関羽ですけど、ドラフトするなら、法正の次に趙雲を取ります(笑)
(EZ)
8 くわぁまん
う~ん、なるほど、なるほど、皆さん激論されていますね…(笑)
アッシは関羽、超雲どちらも総大将の素質は充分だったと思います…。
で、ちょっと気付いたのが、魏の総大将は言わずと知れた名将張コウでしょ?
皆さん何かお気付きになりませんか?そうです…。
彼は超雲と郡は違うが同郷人だったのです。冀州人の気質として融通の利かない頑固な面があるようです。そこで孔明は正と正、張コウと超雲をぶつける事に躊躇したのではないでしょうか?
でなければ北伐第一戦の総大将は超雲を起用していたでしょうね…
…間違いない…(遅)
アッシは関羽、超雲どちらも総大将の素質は充分だったと思います…。
で、ちょっと気付いたのが、魏の総大将は言わずと知れた名将張コウでしょ?
皆さん何かお気付きになりませんか?そうです…。
彼は超雲と郡は違うが同郷人だったのです。冀州人の気質として融通の利かない頑固な面があるようです。そこで孔明は正と正、張コウと超雲をぶつける事に躊躇したのではないでしょうか?
でなければ北伐第一戦の総大将は超雲を起用していたでしょうね…
…間違いない…(遅)
(F901iC/FOMA)
10 元歎
参加者が増えてきましたね~^^
>才能を認められても功績が上げづらい
功績が上がらないと昇進できないということはありません。才能が認められれば昇進もするし抜擢もされます。
>そのよりどころを知力に見るならば確固とした記述はないものの、またシ号を例に出すとそれほど頭が悪いとは言えません。
知力・頭が悪いなどよりも重要なのは、戦の経験や勘などでしょう。
>そもそもダメと言い切る理由が私には分かりません。
趙雲が軍規模の兵を率いたという記述がありません。全て部隊を率いる部将として働いています。ながく仕えているし、才能を認めてもらう機会はあったのに、劉備が漢中王になった時も漢中を任されることもなく、劉備死後の諸葛亮による北伐の時も漢中を任されることもなかった。総大将の才能が(関羽や魏延・諸葛亮よりも)なかったと思われており、実際そうであったと見るのが自然でしょう。
>慎み深さで有名な(笑)諸葛亮
諸葛亮が慎み深いというのはないでしょう。自分に反対する人物や政敵はしっかりと追い落としています。慎み深いはずがありません。
>総大将に戦略眼が備わっていなければいけないのでしょうか?
いけません。というか、戦略眼が備わっている者はたいてい統率力も持ち合わせています。
>才能を認められても功績が上げづらい
功績が上がらないと昇進できないということはありません。才能が認められれば昇進もするし抜擢もされます。
>そのよりどころを知力に見るならば確固とした記述はないものの、またシ号を例に出すとそれほど頭が悪いとは言えません。
知力・頭が悪いなどよりも重要なのは、戦の経験や勘などでしょう。
>そもそもダメと言い切る理由が私には分かりません。
趙雲が軍規模の兵を率いたという記述がありません。全て部隊を率いる部将として働いています。ながく仕えているし、才能を認めてもらう機会はあったのに、劉備が漢中王になった時も漢中を任されることもなく、劉備死後の諸葛亮による北伐の時も漢中を任されることもなかった。総大将の才能が(関羽や魏延・諸葛亮よりも)なかったと思われており、実際そうであったと見るのが自然でしょう。
>慎み深さで有名な(笑)諸葛亮
諸葛亮が慎み深いというのはないでしょう。自分に反対する人物や政敵はしっかりと追い落としています。慎み深いはずがありません。
>総大将に戦略眼が備わっていなければいけないのでしょうか?
いけません。というか、戦略眼が備わっている者はたいてい統率力も持ち合わせています。
(PC)
11 元歎
>横で補佐する人間がいれば
そういう人がいても、最終的に決定するのは総大将ですから、総大将にその戦略の良さがわからなければ意味はありませんが、まあ、ある程度は解消されますね。
>兵士については両者引き分けといったところですが、部下(配下の武将)への気配りという点では関羽は一歩譲らねばならない
兵士については、「関羽は兵卒を好遇した」と特筆されているほどですから関羽の方が上ではないでしょうか。配下の部将には、というか大抵の武将からは嫌われていましたからね。これは何の記述もない趙雲が上でしょう。
>関羽は人に実力以上のものを求める所があります。
え、そうですか?
子竜さん>すいません、僕の前レスで『子龍』となっていましたね(汗) これからも熱く討論していきましょう!>ええ、そうしたいですね。最近はどこの掲示板も仲良しですから(笑)、討論にならないんですよ…
朱家さん>ちなみに私も関羽より優秀だと思ってますよ。>おお、朱家さんも趙雲ですか~。関羽の方が優秀と思う人はいないのですか? もしおられたら返事をお願いします(^^)
そういう人がいても、最終的に決定するのは総大将ですから、総大将にその戦略の良さがわからなければ意味はありませんが、まあ、ある程度は解消されますね。
>兵士については両者引き分けといったところですが、部下(配下の武将)への気配りという点では関羽は一歩譲らねばならない
兵士については、「関羽は兵卒を好遇した」と特筆されているほどですから関羽の方が上ではないでしょうか。配下の部将には、というか大抵の武将からは嫌われていましたからね。これは何の記述もない趙雲が上でしょう。
>関羽は人に実力以上のものを求める所があります。
え、そうですか?
子竜さん>すいません、僕の前レスで『子龍』となっていましたね(汗) これからも熱く討論していきましょう!>ええ、そうしたいですね。最近はどこの掲示板も仲良しですから(笑)、討論にならないんですよ…
朱家さん>ちなみに私も関羽より優秀だと思ってますよ。>おお、朱家さんも趙雲ですか~。関羽の方が優秀と思う人はいないのですか? もしおられたら返事をお願いします(^^)
(PC)
12 青龍
いつのまにか書き込みが増えましたね(^^)
朱家さん>国士の捉らえ方は陳寿の考え方やその用い方を汲み取ってですか?もともと考えてなかった私には国士は国内の優れた人との印象が強いです。
箕谷は例に出したつもりがその議論するようになってしまいましたね。「兵を失った」ですが、それほど兵を失ったのでしょうか?前にも言いましたが、戦で死人が出ないことはまずないです。趙雲の撤退は無駄な死人を出さなかったという範囲の損失だと考えています。それでも「兵を失った」ことを重大とするなら勝ち戦でも降格という事態が数多く出て来てしまいます。(あるなら申し訳ないですが)私は聞いたことがないです。なかなか同じ事を書くことが多くなってきました(私もですが)が、それは捉らえ方の問題ということですよね?下賜を断った理由を、朱家さんは、書いていて趙雲が慎み深いと思いませんか?
総大将の議論にたいしてですかが、「何が足りなかったのか?」については元歎さんが「統率力」や「戦略」等おっしゃってますし、私もそれに対して、「記述はないにしろ、行動や評価、戦歴を見れば少しは良い方向に見えてきますよ」といった形で答えてきたつもりです。「何故~」といった理由もまた
朱家さん>国士の捉らえ方は陳寿の考え方やその用い方を汲み取ってですか?もともと考えてなかった私には国士は国内の優れた人との印象が強いです。
箕谷は例に出したつもりがその議論するようになってしまいましたね。「兵を失った」ですが、それほど兵を失ったのでしょうか?前にも言いましたが、戦で死人が出ないことはまずないです。趙雲の撤退は無駄な死人を出さなかったという範囲の損失だと考えています。それでも「兵を失った」ことを重大とするなら勝ち戦でも降格という事態が数多く出て来てしまいます。(あるなら申し訳ないですが)私は聞いたことがないです。なかなか同じ事を書くことが多くなってきました(私もですが)が、それは捉らえ方の問題ということですよね?下賜を断った理由を、朱家さんは、書いていて趙雲が慎み深いと思いませんか?
総大将の議論にたいしてですかが、「何が足りなかったのか?」については元歎さんが「統率力」や「戦略」等おっしゃってますし、私もそれに対して、「記述はないにしろ、行動や評価、戦歴を見れば少しは良い方向に見えてきますよ」といった形で答えてきたつもりです。「何故~」といった理由もまた
(D901i/FOMA)
13 青龍
「階級」や「限界」の話しを照らしあわせてみると全く言っていないわけではないはずです。(読み取ってもらえませんでしたが)私はそのつもりで書いてます。
元歎さん>功績の話しですが、「上げづらい」というより具体的に箕谷の例を出すと、階級が下げられています。その判例(?)をもとにすれば「敗戦後の昇進」はおかしな事となります。また、直後ではないにしろ他の戦もなしに、ただ時間が経っただけで昇進も納得しづらいでしょう。
戦略ですが、まさか趙雲にその切り口で来るとは思いもしませんでした。総大将の経験ならばもちろんありませんが、戦自体の場数なら足りないはずがありません。また、諸葛亮からの策を賜る等の印象が、趙雲にはあるので、戦略を全く知らないこともないでしょう。そして勘ですが、どんな勘ですか?戦の臨機応変につながる勘ならばないはずがありません。そうでなければ撤退戦など出来ないからです。また、孫夫人から後主を取り戻すなど、日常的(?)な勘もあります。
総大将の話しですが、「才能が(関羽~」と言ってもらえると、ただ趙雲だけを見てダメと言われるよりは納得です結局私が言いたいのは「趙雲がそれなりに総大将も出来る」ということです。
元歎さん>功績の話しですが、「上げづらい」というより具体的に箕谷の例を出すと、階級が下げられています。その判例(?)をもとにすれば「敗戦後の昇進」はおかしな事となります。また、直後ではないにしろ他の戦もなしに、ただ時間が経っただけで昇進も納得しづらいでしょう。
戦略ですが、まさか趙雲にその切り口で来るとは思いもしませんでした。総大将の経験ならばもちろんありませんが、戦自体の場数なら足りないはずがありません。また、諸葛亮からの策を賜る等の印象が、趙雲にはあるので、戦略を全く知らないこともないでしょう。そして勘ですが、どんな勘ですか?戦の臨機応変につながる勘ならばないはずがありません。そうでなければ撤退戦など出来ないからです。また、孫夫人から後主を取り戻すなど、日常的(?)な勘もあります。
総大将の話しですが、「才能が(関羽~」と言ってもらえると、ただ趙雲だけを見てダメと言われるよりは納得です結局私が言いたいのは「趙雲がそれなりに総大将も出来る」ということです。
(D901i/FOMA)
14 青龍
ところで、薄学さをさらしてしまいますが、関羽はどれほど総大将として実績を残したのですか?
戦略眼の必要性は私も薄々感じてましたが、戦略というと決定権は間違いなく総大将にありますが、考えるのは軍師・参謀系がする印象があります。良さがわかるくらいの賢明さはあると思いますし、それを採用する心(?)も持っているはずです。
諸葛亮に関してですかが、彼が好きながら細かいところを私は知らないので何とも言い難いです。ただ、正史に書いてあったので使ったまでです。そして、あそこで諸葛亮の名前を出すのは私にとっては、やはり大きな意味があります。それは、諸葛亮が賞罰を明確にしていたからです(今度はあってます?)。その諸葛亮が褒美を与えようとしたということは、それだけの働きを、趙雲はしたということではないでしょうか?
最近「自分はこっちの方が優秀だと思う」と言う人が増えていますね。ちなみに私はこれまでそれを明らかにしていない(はず)です。ただ趙雲好きというだけで判断するほどの知識がないからです。もともと少ない材料で判断するのが嫌いなのでこうして討論に参加したまでです。そして、この討論を経ても私は優劣を決められないと思います。
戦略眼の必要性は私も薄々感じてましたが、戦略というと決定権は間違いなく総大将にありますが、考えるのは軍師・参謀系がする印象があります。良さがわかるくらいの賢明さはあると思いますし、それを採用する心(?)も持っているはずです。
諸葛亮に関してですかが、彼が好きながら細かいところを私は知らないので何とも言い難いです。ただ、正史に書いてあったので使ったまでです。そして、あそこで諸葛亮の名前を出すのは私にとっては、やはり大きな意味があります。それは、諸葛亮が賞罰を明確にしていたからです(今度はあってます?)。その諸葛亮が褒美を与えようとしたということは、それだけの働きを、趙雲はしたということではないでしょうか?
最近「自分はこっちの方が優秀だと思う」と言う人が増えていますね。ちなみに私はこれまでそれを明らかにしていない(はず)です。ただ趙雲好きというだけで判断するほどの知識がないからです。もともと少ない材料で判断するのが嫌いなのでこうして討論に参加したまでです。そして、この討論を経ても私は優劣を決められないと思います。
(D901i/FOMA)
15 朱家
国=蜀としただけですよ。同じ評の中に武臣として夏侯嬰なら、国士は韓信、英布という事です。
趙雲伝「箕谷で敗北したが、軍兵をまとめて守りを固め、大敗しなかった」最初から守りを固めてたら、昇格したんじゃないかな?
総大将となる=才がある、ではなく、総大将の才がある=総大将となって敵を撃ち破る(守る)ですよ。
もし総大将になってたら、敗北して首を斬られたかもしれません。例えば「曹真に勝てた」全く根拠がないのです。関羽は総大将なので、ある程度裏付けできます。関羽は記述からの推測で、趙雲は想像からの推測なんです。想像の世界は議論できませんと言いたかったんです。趙雲総大将が前提の議論は無理があるのです。総大将でない関羽と比べるべきだと思います。青龍さんだけに言ってる訳ではないですよ。これに含まれないのは議論してるつもりです。
元歎さん〉好きなのは断トツで関羽ですよ。使いやすいのも大きな要素だと思います。関羽は劉備限定の将だと思いますので…体調が良くないので、関羽の称賛をお願いします。
趙雲伝「箕谷で敗北したが、軍兵をまとめて守りを固め、大敗しなかった」最初から守りを固めてたら、昇格したんじゃないかな?
総大将となる=才がある、ではなく、総大将の才がある=総大将となって敵を撃ち破る(守る)ですよ。
もし総大将になってたら、敗北して首を斬られたかもしれません。例えば「曹真に勝てた」全く根拠がないのです。関羽は総大将なので、ある程度裏付けできます。関羽は記述からの推測で、趙雲は想像からの推測なんです。想像の世界は議論できませんと言いたかったんです。趙雲総大将が前提の議論は無理があるのです。総大将でない関羽と比べるべきだと思います。青龍さんだけに言ってる訳ではないですよ。これに含まれないのは議論してるつもりです。
元歎さん〉好きなのは断トツで関羽ですよ。使いやすいのも大きな要素だと思います。関羽は劉備限定の将だと思いますので…体調が良くないので、関羽の称賛をお願いします。
(EZ)
16 赤龍
箕谷での件ですが、趙雲は少数のおとりの軍を指揮して、魏の主力軍である曹真にあたっていました。これはもともと勝ち目の無い戦。いかに被害を抑え、粘るかが重用。そして、趙雲は見事にその任を果たしていたが、街亭の敗北により総退却。しかしここでも、見事な退却を見せる。しかし、戦は蜀軍の敗北。趙雲も別働隊の将としての立場から、諸葛亮と共に降格処分を甘んじて受ける。諸葛亮は申し訳なく思い(本来戦略の立案者の己の責だから)、せめてその活躍に報いようといくらかの褒賞を与えようとするが固辞して受けなかった。
こんなとこではないでしょうか?趙雲の慎み深さ、実直さが感じられます。
あくまで、降格処分は蜀軍全体での敗北の責を負ってのものととるべきでしょう。
こんなとこではないでしょうか?趙雲の慎み深さ、実直さが感じられます。
あくまで、降格処分は蜀軍全体での敗北の責を負ってのものととるべきでしょう。
(PC)
17 赤龍
ついでに、総大将に必要なものに戦略眼云々という話がありましたが、関羽の戦略眼についても、実際どの程度のものなのか、怪しいものだと思いますが。あくまで国の戦略の一環として、指示を受けて方面軍を動かしていただけと思われますから。その点で趙雲との比較は無理なんじゃないでしょうか?むしろ、呉との関係を軽視したまま、魏と戦うあたり、関羽の戦略眼の有無も相当怪しいものじゃないかとも思えますよ。
関羽は総大将といっても、あくまで方面軍を率いる総大将ということを忘れてはいけません。
関羽は総大将といっても、あくまで方面軍を率いる総大将ということを忘れてはいけません。
(PC)
20 元歎
おお…書き込み多し…多いのでレスは最低限にしときますf^_^;
やっと見つけた…参考&類似スレ>>>197こちらもご覧ください。
青龍さん>
>総大将の経験ならばもちろんありませんが、戦自体の場数なら足りないはずがありません。
いや、戦略に関して重要なのは経験や勘ではないか、と言っただけです。で、趙雲の戦の経験ですが…参戦している戦を見ると経験がないということはありませんな。
>そして勘ですが、どんな勘ですか?
さあ、わかりません。ピッタリの言葉がなかったので仮に『勘』としただけです。どう言えば良いのやら…
>孫夫人から後主を取り戻す
ああ、この記述を僕は信じていません。孫夫人が劉禅のそばにいたはずがなく、連れ去ることなど出来ません。
>関羽はどれほど総大将として実績を残したのですか?
さあ、これは難しいですねぇ。214~219年まで荊州を守っていたことでしょうか(もちろん魯粛の助力があってこそです)。これだ!という実績は見当たりませんね。まあ、総大将の期間はそんなにながくないですから。
朱家さん>関羽の称賛ですか…では、魏の劉曄の言葉を。『(ちくま訳)関羽・張飛は三軍に冠たる武勇をもって将軍となっている~(關羽、張飛勇冠三軍而為將)』。もうひとつ。魏の人々の言。『(ちくま訳)蜀は小国にすぎません。名将は関羽だけです(蜀,小國耳,名將唯羽.)』 他にもこういう評ありますか?
赤龍さん>
>呉との関係を軽視したまま、魏と戦うあたり、
関羽に外交の才まで求めるのは酷じゃないですか? それに魏と戦ったのは劉備の命だと思っています。
「戦略」が指しているのは、どこからどこまでなのか? これどう思います?
無問題さん>本当にすごいレスですよね。「その3」までいくか!?(笑)
ゲーム、軍人のくせに政治がおかしいですよね。ゲームの話題は禁止なので、これ以上はやめときますが…m(__)m
やっと見つけた…参考&類似スレ>>>197こちらもご覧ください。
青龍さん>
>総大将の経験ならばもちろんありませんが、戦自体の場数なら足りないはずがありません。
いや、戦略に関して重要なのは経験や勘ではないか、と言っただけです。で、趙雲の戦の経験ですが…参戦している戦を見ると経験がないということはありませんな。
>そして勘ですが、どんな勘ですか?
さあ、わかりません。ピッタリの言葉がなかったので仮に『勘』としただけです。どう言えば良いのやら…
>孫夫人から後主を取り戻す
ああ、この記述を僕は信じていません。孫夫人が劉禅のそばにいたはずがなく、連れ去ることなど出来ません。
>関羽はどれほど総大将として実績を残したのですか?
さあ、これは難しいですねぇ。214~219年まで荊州を守っていたことでしょうか(もちろん魯粛の助力があってこそです)。これだ!という実績は見当たりませんね。まあ、総大将の期間はそんなにながくないですから。
朱家さん>関羽の称賛ですか…では、魏の劉曄の言葉を。『(ちくま訳)関羽・張飛は三軍に冠たる武勇をもって将軍となっている~(關羽、張飛勇冠三軍而為將)』。もうひとつ。魏の人々の言。『(ちくま訳)蜀は小国にすぎません。名将は関羽だけです(蜀,小國耳,名將唯羽.)』 他にもこういう評ありますか?
赤龍さん>
>呉との関係を軽視したまま、魏と戦うあたり、
関羽に外交の才まで求めるのは酷じゃないですか? それに魏と戦ったのは劉備の命だと思っています。
「戦略」が指しているのは、どこからどこまでなのか? これどう思います?
無問題さん>本当にすごいレスですよね。「その3」までいくか!?(笑)
ゲーム、軍人のくせに政治がおかしいですよね。ゲームの話題は禁止なので、これ以上はやめときますが…m(__)m
(PC)
21 元歎
>>20
赤龍さん>
『>呉との関係を軽視したまま、魏と戦うあたり、
関羽に外交の才まで求めるのは酷じゃないですか?』
なんだかこれ、キレてるみたいですね(汗) もちろんそんなことありませんm(__)m
僕は、「戦略」に外交は含まれないと思っています。ちょうど良い大伴さんの書き込みがあったので、>>>189-32(←これで飛べるかな?半信半疑)
赤龍さん>
『>呉との関係を軽視したまま、魏と戦うあたり、
関羽に外交の才まで求めるのは酷じゃないですか?』
なんだかこれ、キレてるみたいですね(汗) もちろんそんなことありませんm(__)m
僕は、「戦略」に外交は含まれないと思っています。ちょうど良い大伴さんの書き込みがあったので、>>>189-32(←これで飛べるかな?半信半疑)
(PC)
22 赤龍
関羽が樊城を攻めたのは、劉備の命(というか劉備軍の戦略方針)だと思いますよ。ただ、その際に、微妙な関係にある呉に対する配慮が欠けていたといわざるをえない面が関羽にもあります。こうした大局を見据えるのも、外交方針を理解するのも戦略眼だと思います。関羽の話になっちゃうので、ここではこれぐらいにしたほうがよさそうですが。
戦略が指す範囲ですか。実はこれも難しいですね。一つの戦場での戦略(大伴さんの説明のやつですね)もあれば、国家戦略(当然外交含む)までありますから。私は国家戦略を念頭に使っています。
あと元歎さん、別にキレてるとか思ってないんで(笑)お気になさらずに。
戦略が指す範囲ですか。実はこれも難しいですね。一つの戦場での戦略(大伴さんの説明のやつですね)もあれば、国家戦略(当然外交含む)までありますから。私は国家戦略を念頭に使っています。
あと元歎さん、別にキレてるとか思ってないんで(笑)お気になさらずに。
(PC)
23 元歎
関羽の話ですね(汗) ついつい…関羽スレありましたっけ?
赤龍さんは国家戦略ですか。話す時はちょっと気をつけないといけないですね。
たしか、北方さんの小説でも戦略は国家の方だったような。戦略・戦術をごっちゃにしてない珍しい小説でしたね。
>キレてる
間に誰かの書き込みが入るとわかりにくくなるので、急いで打ったんですが、適当な言葉が見つからず^^; ネットは伝わりにくいですからね…。
赤龍さんは国家戦略ですか。話す時はちょっと気をつけないといけないですね。
たしか、北方さんの小説でも戦略は国家の方だったような。戦略・戦術をごっちゃにしてない珍しい小説でしたね。
>キレてる
間に誰かの書き込みが入るとわかりにくくなるので、急いで打ったんですが、適当な言葉が見つからず^^; ネットは伝わりにくいですからね…。
(PC)
24 青龍
いや~だいぶ話が進みましたね(^^)
関羽のことは落ち着いてしまったようですが、私が聞いたことなので触れておきます。
関羽の実績はそれほどなかったのですね。みなさん(関羽派?)の意見を聞いていると、もっと実績を残したのだと思ってました。言い換えると「総大将になった」という記述しかないとも捉らえられます。そしてその後は荊州を奪われ自らの命も落とした。それだけの記述だと関羽に総大将の才能があったかも謎に思えます。朱家さんの言葉をかりるなら、なっただけで才能がないという捉らえ方も出来ますよね?
おさまりかけた事を蒸し返しスイマセンm(__)m
関羽のことは落ち着いてしまったようですが、私が聞いたことなので触れておきます。
関羽の実績はそれほどなかったのですね。みなさん(関羽派?)の意見を聞いていると、もっと実績を残したのだと思ってました。言い換えると「総大将になった」という記述しかないとも捉らえられます。そしてその後は荊州を奪われ自らの命も落とした。それだけの記述だと関羽に総大将の才能があったかも謎に思えます。朱家さんの言葉をかりるなら、なっただけで才能がないという捉らえ方も出来ますよね?
おさまりかけた事を蒸し返しスイマセンm(__)m
(D901i/FOMA)
25 朱家
一応関羽は、私の中でかなり評価の高い于禁に勝ってますね。内容は微妙だけど。総大将の実績はこれだけですね。しかし、呂蒙「我々が死んでは、関羽を討てません」や、曹操も恐れてますし、関羽一人で、魏と呉を動かしてるので、関羽軍は異様に強かったと考えていいとは思いますよ。
他にも気になる事があるので、関羽スレに書きます。
他にも気になる事があるので、関羽スレに書きます。
(EZ)
27 ストラップ
趙雲の戦略家としての資質についての私見。
前提一:趙雲には、戦略家としての手腕を問われた事実が記録されていない。
前提二:趙雲は類稀な戦術家である。
前提三:戦略家としての資質と、戦術家としての資質は別物である。優れた戦術家が卓抜した戦略家になるとは限らない。
結論:趙雲が戦略家として優れていたという事は立証出来ない。
こんなものでは無いでしょうか?趙雲大戦略家説は、ゲーム等に影響を受け過ぎている気がします。
呉を攻撃する際(221年)趙雲は、
「魏が滅べば呉は降伏するから、呉を攻めずとも良い。魏に専念すべき」
という内容を発言した様ですが、「魏が滅べば」という言葉が「魏に専念すべき」という戦略の正しさを正しい理由から発していない事を現している様な気はします。
前提一:趙雲には、戦略家としての手腕を問われた事実が記録されていない。
前提二:趙雲は類稀な戦術家である。
前提三:戦略家としての資質と、戦術家としての資質は別物である。優れた戦術家が卓抜した戦略家になるとは限らない。
結論:趙雲が戦略家として優れていたという事は立証出来ない。
こんなものでは無いでしょうか?趙雲大戦略家説は、ゲーム等に影響を受け過ぎている気がします。
呉を攻撃する際(221年)趙雲は、
「魏が滅べば呉は降伏するから、呉を攻めずとも良い。魏に専念すべき」
という内容を発言した様ですが、「魏が滅べば」という言葉が「魏に専念すべき」という戦略の正しさを正しい理由から発していない事を現している様な気はします。
(PC)