10 大伴
G屯田は、人民から募集して許の県下で行わせた。百万石の穀物を取り入れ、郡と国でいずれも田官を置き、数年のうちにいたる所で粟を備蓄した。袁紹の軍がこれの輸送を度々襲った。
H棗祗は屯田制の改正案を提出したが、曹操は迷い、荀イクと議論させた。棗祗の案は「田地分割の策」と表現されている。しかし荀イクは軍祭酒の侯声の言う従来の案(牛の数を基準とした様だ)とどちらが優れているか判断が出来なかった。それでも棗祗は信念を変えず、計算に基づき曹操に意見を述べた。曹操はこれに賛成し、棗祗を屯田都尉にとりたてた。この年は大豊作で、棗祗のその政策によって田地を増大させた。
I棗祗は早くに死んだ様である。郡の太守の官を追贈したが、尚その功績に相応しく無いと曹操は悔やむ。「もと陳留の太守」という記述があるが、追贈は陳留の太守か?又曹操は、侯にとりたてるのを当然と思いながら引きのばしている。棗祗の子、棗処中に爵位領地を与えて棗祗を祭らせ、不朽の事業を評価した様である。
J忠誠有能な天分をもつと、曹操は評価している。
H棗祗は屯田制の改正案を提出したが、曹操は迷い、荀イクと議論させた。棗祗の案は「田地分割の策」と表現されている。しかし荀イクは軍祭酒の侯声の言う従来の案(牛の数を基準とした様だ)とどちらが優れているか判断が出来なかった。それでも棗祗は信念を変えず、計算に基づき曹操に意見を述べた。曹操はこれに賛成し、棗祗を屯田都尉にとりたてた。この年は大豊作で、棗祗のその政策によって田地を増大させた。
I棗祗は早くに死んだ様である。郡の太守の官を追贈したが、尚その功績に相応しく無いと曹操は悔やむ。「もと陳留の太守」という記述があるが、追贈は陳留の太守か?又曹操は、侯にとりたてるのを当然と思いながら引きのばしている。棗祗の子、棗処中に爵位領地を与えて棗祗を祭らせ、不朽の事業を評価した様である。
J忠誠有能な天分をもつと、曹操は評価している。
(F2102V/FOMA)