10 子竜
>>7
ブログ、拝読させて頂きました。郭循の記述ってあったんですね…。ここ数日、単独計画犯行説を覆せないか、頭を捻っておりましたが、魏氏春秋の記述を考慮すると、それが一番的を射ているかなと思います。よって私もその説を擁護しようと思います。三の派閥犯行説を擁護してくださった景文さん、よっちさん、申し訳ありません。
ところで、まだ疑問が残るのですが、魏氏春秋では郭循についてそれなりに記録が残っているのに、何故蜀書では極端にこの事件の記述が少ないのでしょうか?費イは当時大将軍、録尚書事と高い役職についており、事件としては大きい部類に入るでしょうし、陳寿、裴松之もまたこの事件については深く掘り下げていません。以上のような点を踏まえて、私は派閥犯行説を特に推していました。派閥が証拠、記録を極力揉み消したと考えたからです。尚、対立していた派閥には黄皓ら内官、派閥ではありませんが軍事活動を抑制されていた姜維を挙げます。皆さんはどうお考えになるでしょうか?
長文失礼しました。
(W31SA/au)