10 巫俊(ふしゅん)
>>4->>9
ホウトクって、南安郡のカン道県の人だそうです。

『漢書』地理志に天水郡の十六県のひとつとしてカン道があり、

應 劭 曰 : 「 カン, 戎 邑 也 , 音 完 . 」

とありますから、異民族の居住地という意味だったんだと思います。
確認してないんですけど、涼州に多い「某道」という地名は、異民族自治区という意味の名残だったと記憶してるんですが、行政区分の道は異民族自治区という意味なので。

従って、ホウトクも漢化した異民族もしくは、漢族の植民の子孫と考えられ、厳しい現地の環境に適応してきた人たちだったと考えられます。
若くして出仕しているそうですから、豪族の出身の可能性が高いですね。

曹操に仕えたあとのホウトクは、故郷のカン道や封地の関門亭(どこの地名?)、あるいは別のところに家族を残しているとも考えられ、
故郷のためにも家族のためにも、ホウトク個人としては魏に仕えることが得策で大義になると考えたのではないでしょうか。

兄や従兄は蜀にいたようですけど(ホウトク伝)。
子のホウ会も後年魏に仕えていますし。
郷土愛?なところに注目してみたり。
あんまり分からないけど。
(PC)