10 赤龍
ちなみに、虞翻の麋芳いびりですが、士仁、麋芳の寝返り工作担当したのって虞翻ですよね。自分が寝返らしたのに、ちょっとひどいんじゃないか、虞翻。と思いました。
(J-SA05)
11 ユウキ
確かに演義みたくリョモウに攻められて簡単に降伏→寝返りではなくて、関羽と仲違いの末→寝返りってありますもんね
どうもグホンは偏屈で頑固な面がありそうですね。孫権の機嫌を損ねて何度も流罪。最後は交州に行かされてますね
(P900i/FOMA)
12 郭煕
呉書によれば士仁は確かに虞翻の説得によりますが、ビ芳は呂蒙が引き連れていた士仁を見て降伏しています。つまり、虞翻は無関係です。また、事件の直後から孫権の誘いに乗って意気を通じ合っていたそうですから、虞翻が非難するのももっともだと思います。
(W11K/au)
13 赤龍
郭煕さん、『呉書』によると、呂蒙に士仁を連れて行くよう進言したのは虞翻ですよ。無関係てわけじゃないです。
(J-SA05)
14 郭煕
しかし降伏を決意したのはビ芳自身です。別に虞翻がビ芳を説得したわけではありません。
(W11K/au)
15 大塩平八郎
びぼうって呉で活躍してたんですね!初めて知りました。
じゃあ士じんはどうなったんですか?
(W21H/au)
16 天草
士仁(関羽伝では傅士仁)が呉で、後に活躍したという記述はないように思われます。

スレ違いでしょうが、虞翻という男は、正確悪いのかな?いじめっ子?
確か于禁も似た時期に彼にいじめられてますよね?(汗)

私はビ芳は『ビホウ』と読んでましたが、皆さんはいかが?
(PC)
17 大伴
恐らく、虞翻という人は、人を裏切る様な人を嫌いだったのでしょう。
しかし、自軍が有利な立場になる事をその気持ちよりも優先し、裏切り工作には携わった。

工作時に、直接麋芳と接触していなければ、詰り易かったでしょうね。

まぁ見方によっては自分勝手だとも言えると思いますよ。

我が国の人の多くは「ビホウ」と発音していると思いますが、我が国独自の読みですし。曹植も、「ソウチ」「ソウショク」と読まれていますから。
(F2102V/FOMA)