11 しす
>>>393-2
>>9
大斧ですが斧、鉞系の武器はかなり歴史が古いもので商(前16〜前11世紀頃)に使われていたようですが、周代には矛や戈が主流となったために廃れました。
その後、斧、鉞系の武器が復活するのは三国志の時代より後のこと。
晋書の石季龍載記に「武器がなかったので百姓の使う斧に長柄を付けて武器にしたら非常に役に立つものになった」という記述があり、このことから三国の時代には使用されていなかったと考えるのが妥当です。
ちなみに大斧が本格的に使われだすのは宋の時代になってから。
遼や西夏の重装騎兵が登場すると共に通常の剣や刀ではダメージを与えられなくなり、大斧や大刀、鉄鞭のような超重武器が使われるようになったと思われます。
演義でこれらの武器がよく描かれるのは>>>54-88-93で触れられているように演義が書かれた時代背景に関係があると思われます。
で、その徐晃の武器ですが、演義が手元にないので確証はありませんが、演義で彼は大斧を使っていたはず。
連環画や横光三国志でも彼は大斧を使っており、徐晃=大斧は無双以前に確立していましたよ。
>>9
大斧ですが斧、鉞系の武器はかなり歴史が古いもので商(前16〜前11世紀頃)に使われていたようですが、周代には矛や戈が主流となったために廃れました。
その後、斧、鉞系の武器が復活するのは三国志の時代より後のこと。
晋書の石季龍載記に「武器がなかったので百姓の使う斧に長柄を付けて武器にしたら非常に役に立つものになった」という記述があり、このことから三国の時代には使用されていなかったと考えるのが妥当です。
ちなみに大斧が本格的に使われだすのは宋の時代になってから。
遼や西夏の重装騎兵が登場すると共に通常の剣や刀ではダメージを与えられなくなり、大斧や大刀、鉄鞭のような超重武器が使われるようになったと思われます。
演義でこれらの武器がよく描かれるのは>>>54-88-93で触れられているように演義が書かれた時代背景に関係があると思われます。
で、その徐晃の武器ですが、演義が手元にないので確証はありませんが、演義で彼は大斧を使っていたはず。
連環画や横光三国志でも彼は大斧を使っており、徐晃=大斧は無双以前に確立していましたよ。
(PC)
12 赤龍
しすさんの言われるように、徐晃は演義で大斧を使っています。
まず、楊奉配下時代に郭シ配下の崔勇を斬った場面。
文醜との一騎討ちの場面。
樊城での関羽との一騎討ち。
私の確認した限り、以上の場面で大斧を使っています。
まず、楊奉配下時代に郭シ配下の崔勇を斬った場面。
文醜との一騎討ちの場面。
樊城での関羽との一騎討ち。
私の確認した限り、以上の場面で大斧を使っています。
(PC)