12 無問題
合肥城は正に呉の疫病神的な難攻不落の要塞でした。この城の補足をしたいと思います。まだ、曹操が袁紹と官渡で睨みあいをしている時期に曹操は合肥に劉馥を派遣。この地方は袁術の痴政により散々荒れ果てていました。合肥城も所々崩れているところがありとても戦に使えるシロモノではありませんでした。彼は赴任すると学校を作ったり、治水を整え地元を嵐まわっていた雷諸らと和睦したりとまず行政体制をととのえ、合肥城の修復をはじめます。しかし、完成した頃にはおそらくしんでいたものと思います。多分、自分の補足だと不充分だと思いますが、一応ここに合肥城についてかきました。張遼の活躍の影に隠れて劉馥の功績はどうしても地味になってしまいますが、彼のやった事はかなり重大だと思います。
(W32SA/au)