12 諏訪
関羽の一族が殺されたことについては、「関羽伝」注の『蜀記』に「ホウ悳の子のホウ会は鍾会・トウ艾に従って蜀を討伐した。蜀が敗北すると、彼はことごとく関氏の血統を滅ぼした」とあります。

鍾会は征蜀に際し、略奪を禁じ、諸葛亮や蒋エンの墓を祭り、姜維ら降将を厚遇しています。
このような鍾会が、部下のホウ会が関羽の一族を殺すのを許すとは思えません。
『蜀記』の記事が事実だとすると、関羽の一族が殺されたのは、鍾会の死後の混乱のときでしょう。
ここで想像ですが、関羽の一族は乱兵によって殺されたのが、関羽にうらみをもつとされるホウ会のしわざということにされてしまったとは考えられないでしょうか。
「後主伝」に「鍾会が死んだのち、蜀中の軍兵は略奪を行ない、死者が出て混乱し、数日してやっと平穏にもどった」とあり、劉セン・張翼・蒋斌・衛継らが乱兵に殺されています。

あくまでも想像ですが、『蜀記』はあまり信用できない史書なので、このようなことを考えたりしてしまいます。
(W51S/au)