13 皇澪桜
なるほど…呉ファンは多く、やはりレスも多し(嬉)
結局のところ孫権が目標にしていたのが何だったのかいまいち分かりづらいです…
なんか防衛ばっかで攻めたのは合肥以外イメージない…
(W52CA/au)
14 たか
攻めたくても攻められなかったんじゃないかな?呉は領土のわりに人口が少なかったし、魏と領土を接してるとこが多かったしね。人口不足を解消するために部下を亶州(今の台湾か沖縄?)に向かわせて人狩りをさせたぐらい
(SH903iTV/FOMA)
15 皇澪桜
山越退治もあったみたいだし地盤があんまり安定していなかった?のかな…
国力のある巍(←字が出ない)ならともかくそんな状態で他の二国と渡り合えたのは呉将が凄かったことを物語っているのでしょうか…?
(W52CA/au)
16 たか
呉が守りに徹していたから後回しにしたんじゃないかな?蜀は諸葛亮や姜維が積極的に北伐してたし。それ以前に呉は孫権晩年は内紛でゴタゴタしてたからね。攻められたらもろかったと思う。
(SH903iTV/FOMA)
17 巫俊(ふしゅん)
あの〜、できれば正史を直に読んだりして語って頂ければ幸いです。
読める環境に無いなら仕方ありませんが、「攻めてない」「呉将が凄い」「山越が・・」「攻められたらもろい」ってのは、過去の三国志ファンが描いてきた呉のイメージを、皇澪桜さんなり、たかさんなりの印象で語っているだけですよ。

孫呉はけっこう攻勢に出てますよ。
諸葛亮や姜維が目立つのは蜀が小国だからです。
呉は江南にどっしり構えて後背の少数民族潰しに余念がないですが、そんな後ろ向きな立場の割には荊北や合肥に何度も何度も攻めかかって行っていますし、
徐州や豫州を奪取できなかったのは合肥が陥落しないからというだけ。

荊北についても、攻めてはいるんですが、河南からの援軍やら荊北の田舎の豪族や蛮(荊北にいる山越の別種)の向背など、長江以南の統治とは違って長江以北では魏の援軍や籠城の軍と戦いながら、荊北の諸郡県をひとつひとつ統治していかなきゃいけないんです。
そんな神業簡単にできませんって。

呉が弱腰だというよりは魏の南方軍がよく整備されているんですよ。
ところで二宮の変での混乱の隙に魏が進軍してきたって話は聞かないんですが、私が知らないだけですか?

私が知ってる限りでは、司馬昭の時代になるまでは呉の防衛力はそれほど露骨に悪くなっていた訳ではないと思ってるんですけど。
(PC)
18 たか
いや、孫権晩年の混乱で攻めてきたとはいってないですよ。ただ混乱したときに攻めてこられたら案外もろかったんじゃないか?って言ってるだけです。攻めてないというのは呉の場合、局地戦が多い感じがしたのでそう表現してしまいました。
(SH903iTV/FOMA)
19 巫俊(ふしゅん)
二宮の変は「混乱」とか「二分」とか呼ばれるんですけど、私が知っている限り内乱になったということは聞いたことがないです。
つまり上層部では主導権争いでゴタゴタしてるんだけど、前線の現場がモタモタしたという話を聞かない。

二宮の変は孫権の晩年の十年内外の期間の政争を指しますが、どうもこの事件は陰湿的な性格があります。
後継者を巡った政争には、各陣営の将校が争乱を起こして軍事的に解決を計ろうとする種類のものもありますが、二宮の変は違うのではないでしょうか。

魏が攻めてきて「もろくなる」ということは、権力関係のもつれからいっそ魏に降伏してしまおうという指揮官が出てくるような状況を指すと思います。
赤壁の戦いの際には孫策の従兄の孫賁が曹操に降伏しようとしていました。

その際と比べると、二宮対立の醜聞があるとはいえ、丞相以下の官吏は常に任命されて配置されているのであり、陰性の二宮の変が即呉軍の崩壊につながるという考えは納得しがたいです。

むしろ、二宮の変の結果、呉の政権運営の仕組みがズタズタになっていったのが呉衰亡への原因であって、それと二宮の変当時の防衛能力を混同しない方がいいと思われます。
(PC)
20 皇澪桜
巫俊さん>
申し訳ないです。正史を買おうと以前から思ってるんですが、金銭的な問題から先延ばしにしてる状態でして…私が発言してるのは〜準拠(正史、演義)の漫画とかの情報をみて持った感想が主なのでここで議論するレベルではないカキコですね。申し訳ないですm(__)m
(W52CA/au)
21 赤龍
>>17
巫俊さんの仰りたいこともわかえいますが、正史を読んでない方を見下すような発言、萎縮させるような発言はあまり好ましくないと思えます。
誰もが巫俊さんのように歴史を学問として扱ってるわけでないのですから。

>>20
皇澪桜さん、なので「ここで議論するレベルではないカキコ」なんてことは全然気にすることではないと思いますよ。
確かに小難しい話をしてるスレもありますが、初心者にも参加しやすいスレだって、色々ありますし。これからも、是非ご参加を、と呉ファンの私は祈っております(笑)
(PC)
22 赤龍
>>21
誤字失礼。
わかえいますが→わかりますが

さて、このスレのおかげで久々に呉ファンの魂に火がつき、ブログの方に久々の投稿。
演義では、地味なやられ役。蒼天航路で独特の個性を与えられた潘璋。呉の人って、文官武官問わず、癖が強い人が多くて楽しいですね。

http://blog.livedoor.jp/amakusa3594/archives/50373451.html
(PC)
23 ストラップ
>>21
巫俊さんの存在が、このスレッドを締めているのも事実なんですけどね。解説は読むとなかなか面白いです。

>>20
とはいえ、その巫俊さんのコメントを引き出したのは皇澪桜さんですし、萎縮は不要だと思いますよ。
ただ、漫画や小説などの物語は飽くまでも創作なので、注意が必要です。
「三国志演義によると〜」の様な書き方をすれば、問題無いと思いますよ。

>>3
http://blog.livedoor.jp/amakusa3594/archives/50089295.html
に赤龍さんの優れた記事がありますw
専門スレッドは>>>94です。

尚、呉書関連の人物のスレッドは、
http://359kk.nobody.jp/kakosure-3.htm
から探す事が可能です。
ここに無いものとしては、
>>>400 孫堅
>>>401 韓当・祖茂・程普
>>>441 張昭
>>>328 劉表
などがあります。
(PC)
24 赤龍
>>23
はい、私も巫俊さんの書き込みの本題自体は非常に面白いものだと思うのは同感です。
ただ、最初の一文が、正史を読んでない人の参加を萎縮させるようで残念だと感じましたので。
知識のある方だからこそ、そうした面での配慮も少し気を配っていただきたいなと。せっかくの討論場の活性化のためにも、参加しやすい空気作りを。

ストラップさんの言われるように、私自身も他の人のなにげない書き込み、素朴な感想なんかから、あたらしい発見があることが多々あります。それが様々な人が参加するこうした掲示板のいいところだと思います。
(PC)
25 皇澪桜
色々拝見させていただいております。まだまた若輩者で至らないところもありますが温かい目でみてやってくださいm(__)m
さて、呉将を盛り上げようキャンペーンとして、新たな議題をひとつ…
周喩、魯粛、陸遜、張昭、張鉱なんかは有名ですが、内政や外交、戦略・戦術に長けた呉将についても語っていきましょう!
(W52CA/au)
26 たか
三国志のほうは購入してないもので…。もっと勉強しないといかんですね
(SH903iTV/FOMA)
27 朱家
推測ですが、「防衛ばかり」「攻めてない」とは、蜀(姜維含む)より侵攻回数が少ない、と言いたいのだと思いますが、それを書いて欲しいのです。
合肥侵攻を認識していて「防衛ばかり」だと、一般的には意味不明であり、相手の意図を理解できない状態で、言葉を否定する事になり、基本的に三国志と関係ないため、摩擦が生じ易いのです。それを回避するために「侵攻を認識してるのに、攻めてないって、どういう意味?」との質問は、意地悪い質問と受け取られがちで、どちらにしても議論としては困るんです。
後記であれば「戦争は回数ではなく成果だから…」との返答になると思いますが、これは言葉ではなく、事柄の否定ですね。

長くなりましたが、自分の意図や、そう考える理由をしっかりと伝えれば、演義だろうが、何だろうが、議論として成立します。もちろん自分への戒めも込めてですが、その事を留意して頂きたいと思います。
(PC)
28 朱家
連続ですが、本題へ(笑)
皇澪桜さん、はじめまして。

純粋な功績という点では、陸遜に並ぶ者はいないと思いますが、歴史的には、基礎を築いた孫策時代になると思うので、周瑜、二張でしょう。
国家形成では、二張の名声は極めて重要で、張昭のほうが名声は高いものの、幼馴染みの周瑜とともに、最初からの協力者と思われる張紘を一番としたい。
では、具体的に何をしたかと言われると、かなり地味だと思いますが、どこの馬の骨とも分からぬ孫策という若造に、全国的な知名度のある張紘が協力した、もちろん、孫策も礼を尽くしてますけどね。
(PC)