16 赤龍
箕谷での件ですが、趙雲は少数のおとりの軍を指揮して、魏の主力軍である曹真にあたっていました。これはもともと勝ち目の無い戦。いかに被害を抑え、粘るかが重用。そして、趙雲は見事にその任を果たしていたが、街亭の敗北により総退却。しかしここでも、見事な退却を見せる。しかし、戦は蜀軍の敗北。趙雲も別働隊の将としての立場から、諸葛亮と共に降格処分を甘んじて受ける。諸葛亮は申し訳なく思い(本来戦略の立案者の己の責だから)、せめてその活躍に報いようといくらかの褒賞を与えようとするが固辞して受けなかった。
こんなとこではないでしょうか?趙雲の慎み深さ、実直さが感じられます。
あくまで、降格処分は蜀軍全体での敗北の責を負ってのものととるべきでしょう。
(PC)