16 ストラップ
とりあえず、>>6を片付けてしまいましょう(笑)

曹髦
「三少帝紀 高貴卿公紀」に確かにありますね。「五月己丑」は「七日」とちくま訳にあります。遂に司馬氏の簒奪が顕在化してきました。

甄氏
文帝紀に因れば、これは三月ではなく、六月の出来事ですね。ちくま訳では、「丁卯」を「二十八日」と記してあります。

公孫淵
「二公孫陶四張伝第八」に因ると、
「景初二年八月壬午」は、公孫淵の軍が総崩れになった日であり、一時逃れた事が書いてありますので、これは命日では無い様です。
(PC)