17 朱家
注に引かれてると思ってました。すいません。『華陽国志』(注に出てくる書)で、霍峻が背後を襲われる危険があるので注意せよと言ってます。霍峻だけでなく、成都急襲策を退けた時点で、東部守備の薄さは誰もが危惧する事だと思います。本文にないですけど、万全の守備だとは思えないのです。このために孔明を呼んだと思ってます。しかし到着までに一年半もかかってます。それだけの戦いがあったなら、もう少し記述があってもいいし、降した(討った)将が厳顔ぐらいなのも不思議です。これが士元の死後かもしれない推測ですが、遅くなれば単純に援軍の可能性が高くなります。劉備は劉璋軍をなめきってたのでしょうか?これによっては士元の評価も変わると思います。
ラク城で一年以上戦ってますので、拠点はこちらだと思います。記述だと霍峻は一年ぐらい包囲されてます。それほどの価値があったのか?劉備(士元?)もラク城に固執してるように感じます。救援にも行ってないと思うし、士元も死んじゃうし…この価値感の違いは何故でしょうか?
(EZ)