>>16明帝記より抜粋。
明皇帝は諱を叡、字を元仲といい文帝の太子である。〜中略〜
黄初三年には平原王となった。その母が誅殺されたために、まだ跡継ぎの太子に立てられるには至らなかった。
〜中略〜
生母の甄夫人に文昭皇后を追贈した。
〜後略〜
つまり、曹丕の正妻である郭后は子宝に恵まれず、側室の子である彼が、郭后の養子という形で太子になります。
一方、甄夫人の方はその後悲劇(ここでは語りませんが…)によって、死んでしまい、失意のうちに彼は皇帝になるのです。
長文になりましたが、
>>16の答えは、その通りです(笑)