17 ストラップ
>>16
確かにちくま訳の「(先主)〔の軽率〕」という部分には、何だか違和感がありますね。「一人」は赤龍さんが言われる様に、馮習を指していそうです。

法正伝の諸葛亮の嘆息は、法正の劉備への影響力から出た言葉と考えられていますね。事実、注で劉備が曹操との戦いで曲面不利にも関わらず退却を承知せず、法正の言葉でやっと退いたという話が取られています。
しかしこれは同時に法正の軍事的な能力にも触れているのでは無いかな、とも思うのです。
「計画は無茶だったが、それでも人がいれば大敗は免れる事ができた」と。
早期の退却を勧める事ができた、という意味のみでは無いと。

事実オウ亭の戦いでは、司令部であった筈の、馮習の陣がやられている訳です。つまりは、ここが(敵の攻める方法・強さに対して)堅く守られていなかったという事ですよね。

後に振り返って、大敗は防げたと(専門家では無い人物が)反省する様な戦いで、堅くあるべきところを崩されている訳ですから、やはり馮習を軍事の才能に特別優れていたとは評価できないのでは無いかと思います。

裴松之が「智術にたけているとはいいがたい」と評し、法正も「虚名がある」と言った許靖の例もありますし、地位だけで実力を量る訳にはいかぬと思います。
(F2102V/FOMA)