17 巫俊(ふしゅん)
あの〜、できれば正史を直に読んだりして語って頂ければ幸いです。
読める環境に無いなら仕方ありませんが、「攻めてない」「呉将が凄い」「山越が・・」「攻められたらもろい」ってのは、過去の三国志ファンが描いてきた呉のイメージを、皇澪桜さんなり、たかさんなりの印象で語っているだけですよ。

孫呉はけっこう攻勢に出てますよ。
諸葛亮や姜維が目立つのは蜀が小国だからです。
呉は江南にどっしり構えて後背の少数民族潰しに余念がないですが、そんな後ろ向きな立場の割には荊北や合肥に何度も何度も攻めかかって行っていますし、
徐州や豫州を奪取できなかったのは合肥が陥落しないからというだけ。

荊北についても、攻めてはいるんですが、河南からの援軍やら荊北の田舎の豪族や蛮(荊北にいる山越の別種)の向背など、長江以南の統治とは違って長江以北では魏の援軍や籠城の軍と戦いながら、荊北の諸郡県をひとつひとつ統治していかなきゃいけないんです。
そんな神業簡単にできませんって。

呉が弱腰だというよりは魏の南方軍がよく整備されているんですよ。
ところで二宮の変での混乱の隙に魏が進軍してきたって話は聞かないんですが、私が知らないだけですか?

私が知ってる限りでは、司馬昭の時代になるまでは呉の防衛力はそれほど露骨に悪くなっていた訳ではないと思ってるんですけど。
(PC)