17 天草
スレを立てようか悩みましたが、ここに書き込みます♪
三国志の謎と言えば、『玉璽』に関する問題もありますよね?
孫堅は本当に隠し持っていたのか?
孫策は本当に袁術に渡したのか?
最後に玉璽を手にした者は?
そもそも玉璽にそんなに意味があるのか?
裴松之も破虜伝では、かなり激しく孫堅所持説を否定しているようですし…皆さんはどう思います?
三国志の謎と言えば、『玉璽』に関する問題もありますよね?
孫堅は本当に隠し持っていたのか?
孫策は本当に袁術に渡したのか?
最後に玉璽を手にした者は?
そもそも玉璽にそんなに意味があるのか?
裴松之も破虜伝では、かなり激しく孫堅所持説を否定しているようですし…皆さんはどう思います?
(PC)
18 三三
玉璽といえば演義での程普は傷の位置まで知っていましたね
当時は傷の位置まで知ってるのはどういう人だったんでしょうか?
行き先も演義でしか知りませんが・・・
袁術に玉璽が渡ってなかったとしたら皇帝と称していなかったかな?
前何かで読んだ記憶ですが・・・劉表との戦い中に孫堅が川で落とし行方不明に。月日がたち荊州に移り住んだ少年が拾い隠し持ち、後に劉備に仕え、劉備が皇帝と称する為にそれを出した
という話もありました
何の本だったか・・・部屋探してるけど見つからない
当時は傷の位置まで知ってるのはどういう人だったんでしょうか?
行き先も演義でしか知りませんが・・・
袁術に玉璽が渡ってなかったとしたら皇帝と称していなかったかな?
前何かで読んだ記憶ですが・・・劉表との戦い中に孫堅が川で落とし行方不明に。月日がたち荊州に移り住んだ少年が拾い隠し持ち、後に劉備に仕え、劉備が皇帝と称する為にそれを出した
という話もありました
何の本だったか・・・部屋探してるけど見つからない
(PC)
19 赤龍
玉璽に関しては、かなり謎が多いですよね。
玉璽の傷についてですが、『漢旧儀』の著者衛宏(後漢初期の人)の著作に見られ、蔡ヨウもその一部を引用。つまり、ある程度の教養がある人ならば、知っていても不思議でない事です。
先主伝に、関羽が樊城を包囲した際、襄陽の男子張嘉と王休が漢水に沈んでた玉璽を見つけ、献上したとあります。ほぼ確実に偽物でしょうが…。後世の蜀贔屓がこれをもとに創作したのが三三の言われる話でしょうね。
玉璽の傷についてですが、『漢旧儀』の著者衛宏(後漢初期の人)の著作に見られ、蔡ヨウもその一部を引用。つまり、ある程度の教養がある人ならば、知っていても不思議でない事です。
先主伝に、関羽が樊城を包囲した際、襄陽の男子張嘉と王休が漢水に沈んでた玉璽を見つけ、献上したとあります。ほぼ確実に偽物でしょうが…。後世の蜀贔屓がこれをもとに創作したのが三三の言われる話でしょうね。
(J-SA05)
22 くわぁまん
うろ覚えだけど十八史略読んでたんで知ってますよ。玉璽の傷のこと。
前漢と後漢の間が関係してるんでゃんすょね。
あちしの知識中途半端だから他の方説明お願いしゃす。角が欠けてるんょ。
前漢と後漢の間が関係してるんでゃんすょね。
あちしの知識中途半端だから他の方説明お願いしゃす。角が欠けてるんょ。
(F901iC/FOMA)
25 赤龍
さて、この傷の由来、先にあげた衛宏の著作の中に(『後漢書』徐キュウ伝注に引かれる)王莽が漢から纂奪の際、元后(元帝の皇后、莽のおば)に伝国璽を要求。元后は激怒したものの、もはや要求を拒めないことを知り、莽を罵って玉璽を地に投げつけました。このとき龍の角の一つが欠けたといわれてます。
(J-SA05)
26 天草
なるほど!良く分かりました。今もその印は残されてるのかな?だったら凄いけど、さすがにそれはないでしょうね?(^o^;
さてでは新たな議題を提出しましょう♪
これは思想や儒教の考え方による部分だと思いますが…当時の中国(今はどうなんだろ?)の武将としての美学は以下のどの要素が重要だったのでしょうか?
@家族
A主従関係
B後の世の名声
三つともそれぞれ、大事にしていたと思われるエピソードは今更説明する必要もないと思われますので、ここでは省きます。
さてでは新たな議題を提出しましょう♪
これは思想や儒教の考え方による部分だと思いますが…当時の中国(今はどうなんだろ?)の武将としての美学は以下のどの要素が重要だったのでしょうか?
@家族
A主従関係
B後の世の名声
三つともそれぞれ、大事にしていたと思われるエピソードは今更説明する必要もないと思われますので、ここでは省きます。
(N900i/FOMA)
27 赤龍
玉璽の話、食い付きが悪いのか終っちゃいましたね。最後に、孫堅玉璽所持の話は呉系の史書に見えるもの。そこには袁術に奪われた記述はなく、呉が所持し続けたと言いたいのかもしれない。つまり、魏の禅譲、蜀の血筋に対抗する名分が伝国璽?一方袁術から漢の朝廷という話は、魏系の史書。そして、陳寿は玉璽の件に全く触れず。と、様々な推測・謎がある問題のようです。
(J-SA05)