18 漢森
次に官渡の開戦前の言動ですが、既に曹‐荀の間では開戦の意志は決まっていて反対派を押さえる為のアジ演説だったのではないでしょうか?
よく曹の寡兵が袁の大軍を破ったといいますが直前に吸収した青州兵が数に入ってません、これを合わせると充分袁の大軍とも対抗できますし、何より開戦を回避する様な外交政策が取られた形跡がありません
つまりは、端からやる気マンマンの曹操が慎重派を押さえる為のもので、『数でも負けていない』の前提を端折った上での勝利要因の上積みと読み解くべきではないでしょうか?

それと荀イクの的確過ぎる予言ですが、袁紹の許に李通以外の家臣から内通の手紙があったが曹操はそれを見ずに全て焼き捨てたと云うエピソードがありますが、この逆もあったのでは?
この場合曹操に取り成してくれるのは名士の荀イクと云う認識が袁紹側にあり、荀イクに情報が集まっていたとしたら、予言は可能ですよね
敵からも曹操より荀イクの人望の方が支持された事の証明になりませんか?
(P900i/FOMA)