19 皇澪桜
>>18
私も知らなかったのでちょっと調べてみました。正史ちくま訳より
趙ゲン(漢字出ません。申し訳ないです)字を伯然。潁川群陽テキ県の人。
荊州に乱を避け、杜襲(トシュウ)・繁欽(バキン)と財産を共通にし、一つ家として共にくらした。
建安二年(197)27歳の時に太祖のもとに赴いた。太祖は趙ゲンを朗陵の長にとりたてた。
県には勢力をかさにきるものが多くいて、遠慮する相手もなく思い通りふるまっていて、趙ゲンはそのうち一番ひどい者を逮捕して取り調べると、すべて死刑に該当した。趙ゲンは彼らを投獄した後群役所に上申して釈放してやった。
それ以後、権威・恩愛ともに明らかになったとあります。
李通・荀イクとの綿・絹の徴収についての手紙のやりとり等をみると、政に長けた人物のようです。
正始四年(243)に老齢と病気を理由に帰還を要請し、召し帰されてヒョウ騎将軍となり、司空に昇進した。逝去し、穆公(ボクコウ)とおくりなされました。
こんな感じでよろしいでしょうか?
私レベルではこの程度が精一杯です…。
申し訳ないですm(__)m
(W52CA/au)