2 天草
先ずは大伴さんの『荀イク無能説』をコピペしておきます。


(武帝紀より)
建安三年、曹操は張繍と劉表の攻撃を受け、退却。先ずは安衆を目指しました。この時苟イクに
「一日に数里を行軍するだけだが、(中略)安衆に到着すればまちがいなく張繍を破る」
とメールします。これは曹操が安衆を戦場に設定したという事(計画的後退)と、勝算が高いと判断した事を現すだけで無く、曹操の軍が遅滞行動(敵の追撃を遅らせながら、戦力を維持する事)を伴いながら後退している事がわかります。遅滞行動が大変に難しい事は承知のとおりです。
又、張繍軍の追撃は、平行追撃(相手の退却路に平行する道を利用した追撃)では無く、正面追撃であった事も推測できます。

次に安衆では、先ず最初に輜重を先に全部通していますが、これには二つの理由が考えられると思います。
・足の遅い部隊を先に通し、前線部隊の離脱速度を最大限に発揮させる為。
・必要に応じて退路上に補給物資を積み、交付できる様にする為。

そして主力が夜に撤退している事も忘れてはいけません。
「奇襲の軍を伏せておいた。ちょうど夜があけた」
と続いています。後退はそれを悟られない様に、悪天候や夜間を利用し、その兆候を秘匿するのは、レーダーが発達した現代でさえ常識です。
(PC)