2 兵法
覇血須呂(ぱちすろ)
中国漢代中期、今の河北省を中心とする武闘家達の間で須呂(すろ)と呼ばれる
特殊な訓練法を行うための道具があった。縦に回転する3つの回胴に描かれている
絵柄を揃えることで、動体視力を鍛えることを目的としている。
本来は訓練用の装置だったが、漢代後期に河南省の武闘家である望那守(ぼう なす)
がこの道具を使った恐るべき暗殺拳を創りあげた。それが覇血須呂である。
現代においては廃れてしまった拳法ではあるが、海を越えた日本各地で須呂が
原型となった機械を目にすることができるのは、日本にもこの暗殺拳が伝わっている
可能性を十分に示唆している。
余談ではあるが、熱い演出が外れたときに用いられる「ガセった」という表現は、
須呂を使った訓練が最も苦手だったという高名な武闘家の臥畝鋳(が せい)という
人物が語源だということは周知の事実である。
民明書房刊 「中国武術大覧」より
中国漢代中期、今の河北省を中心とする武闘家達の間で須呂(すろ)と呼ばれる
特殊な訓練法を行うための道具があった。縦に回転する3つの回胴に描かれている
絵柄を揃えることで、動体視力を鍛えることを目的としている。
本来は訓練用の装置だったが、漢代後期に河南省の武闘家である望那守(ぼう なす)
がこの道具を使った恐るべき暗殺拳を創りあげた。それが覇血須呂である。
現代においては廃れてしまった拳法ではあるが、海を越えた日本各地で須呂が
原型となった機械を目にすることができるのは、日本にもこの暗殺拳が伝わっている
可能性を十分に示唆している。
余談ではあるが、熱い演出が外れたときに用いられる「ガセった」という表現は、
須呂を使った訓練が最も苦手だったという高名な武闘家の臥畝鋳(が せい)という
人物が語源だということは周知の事実である。
民明書房刊 「中国武術大覧」より