20 漢森
初投稿で失礼します
確かに馬謖の最後は「諸葛亮伝」「王平伝」では誅戮、「向朗伝」では逃亡、「馬良伝」は獄死(と云うより投獄された後死亡と訳すべきか?)と一見矛盾するかの様な書き方をなされていますが、それぞれが正しいとすれば、《馬謖は街亭の敗戦後、罪を怖れて逃亡を計るも、捕まり投獄され、そして処刑された。》と解釈出来ませんか?
陳寿は「伝」を立てた本人にとって不名誉な事は書かない為、一つの事柄を幾つかに分けて記載する事が多い三国志ならではの「謎」ですね
確かに馬謖の最後は「諸葛亮伝」「王平伝」では誅戮、「向朗伝」では逃亡、「馬良伝」は獄死(と云うより投獄された後死亡と訳すべきか?)と一見矛盾するかの様な書き方をなされていますが、それぞれが正しいとすれば、《馬謖は街亭の敗戦後、罪を怖れて逃亡を計るも、捕まり投獄され、そして処刑された。》と解釈出来ませんか?
陳寿は「伝」を立てた本人にとって不名誉な事は書かない為、一つの事柄を幾つかに分けて記載する事が多い三国志ならではの「謎」ですね
(N504iS)
21 天草
漢森殿>初めまして!よろしくお願いします!
なるほど!全ての記述が真実だということですね。
馬謖の不名誉な記録を、陳寿は書きたくなかったのかな?それとも諸葛亮を際立たせる為のかませ犬にしたかったのかな?
なるほど!全ての記述が真実だということですね。
馬謖の不名誉な記録を、陳寿は書きたくなかったのかな?それとも諸葛亮を際立たせる為のかませ犬にしたかったのかな?
(PC)
22 大伴
私も漢森さんと同意見ですね。陳寿は馬良を扱う列伝で、彼の肉親の不名誉な出来事を書きたくなかったのでしょう。
裴松之もその気持ち(というより意図)が理解できたからこそ、ワザワザの直接的な指摘を避けたのではないでしょうか。
ただ裴松之は<馬良伝>のその注で、馬謖の刑死を書き、それを暗に否定しています。
裴松之もその気持ち(というより意図)が理解できたからこそ、ワザワザの直接的な指摘を避けたのではないでしょうか。
ただ裴松之は<馬良伝>のその注で、馬謖の刑死を書き、それを暗に否定しています。
(F2102V/FOMA)