>>20
>巫俊さんが真剣に歴史を学んでいる方だからこそ、気付いた問題点は遠慮なく率直にいうべきだと思っていましたが、間違いだったのでしょうか?

そういう問題ではないのです。
「巫俊さんは宋代史家の五代時代(10世紀)についての歴史的評価を例に挙げて、宋代の儒学者の朱子学的な評価の説明とされましたが、宋代に関していえば例えば公正な内容で知られる『資治通鑑』を記した司馬光のような人もおり、巫俊さんの挙げた例は少々一面的なものではないでしょうか?」

このような感じに書いて頂ければ、よろこんでレスしたのですが、そのですね、いきなりトンデモ歴史書の『神皇正統記』を例に挙げて、私の論理がそれに類するものである、とさしたる根拠なく言及されると誰だって怒ってしまいますよ?

文脈からすると赤龍さんはそこまで考えてらっしゃらないのかもしれないですが、『神皇正統記』のような天武天皇も雄略天皇も非正統の天皇とする歴史書を例に挙げて、それじゃまるで私が曲筆家のようじゃないですか?

私はここの掲示板の趣旨ように、誰にでも分かりやすい説明にしようと、あんまり複雑な説明も難なので、基礎知識がなくとも理解しやすい宰相馮道の評価を例に挙げただけなんです。
そりゃ現在の馮道の評価は現代的価値観ではありますけどね、もと京大の礪波護氏の講談社学術文庫『馮道』が私は格別に好きでしてね。
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ついでに馮道とは、五代十国時代(10世紀)の後唐から後周にかけての歴代王朝に仕えた宰相で、温厚篤実な人として知られ、諸葛亮が大好きだったという春秋時代の晏子(あんし)に類する人です。
馮道の評価を例に挙げたせいで、宋代の儒学者の歴史理解はトンデモだと、私が考えているように誤解されたようですが、

あと『資治通鑑』についてですが、司馬光自身が魏を正統王朝と位置付けていた訳ではなくて、歴史書のスタイルとして魏の年号で統一して記述する便宜上の必要があったからのはずです。司馬光自身の蜀正統論者からのクレーム防止策なんでしょう。
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