22 大伴
陳寿の評は、ちくま学芸文庫版「二公孫陶四張伝」から少し引用してみましょう。
評にいう。公孫サンは易京を保守したまま、なすこともなく全滅を待っていた。公孫度は残虐で節度が無く、公孫淵は父祖の業をうけつぎながら凶悪さを発揮し、ただ一族を破滅させただけであった。陶謙は惑乱して憂死し、張楊は臣下に寝首をかかれた。みな州郡を支配しながら、かえって一平民にも劣る者どもであり、実際論評に値しない。(後略)
酷評ですね(笑)
范ヨウの「後漢書/劉虞公孫サン陶謙列伝第六十三」は私は未読ですが、どのような評価なのでしょうか?
評にいう。公孫サンは易京を保守したまま、なすこともなく全滅を待っていた。公孫度は残虐で節度が無く、公孫淵は父祖の業をうけつぎながら凶悪さを発揮し、ただ一族を破滅させただけであった。陶謙は惑乱して憂死し、張楊は臣下に寝首をかかれた。みな州郡を支配しながら、かえって一平民にも劣る者どもであり、実際論評に値しない。(後略)
酷評ですね(笑)
范ヨウの「後漢書/劉虞公孫サン陶謙列伝第六十三」は私は未読ですが、どのような評価なのでしょうか?
(F2102V/FOMA)