24 元歎
呉書第四に劉ヨウや士燮の伝とともに太史慈伝が収められた理由…『名士でかつ孫家に対抗しその後実質的に服従した』という条件に当て嵌まるからではないでしょうか? 今パッと思いついたことなんで確かめてはないですが、この条件に当て嵌まるのは三人だけなのでは…と思います。名士なのに武力に頼り頼って対抗した(士燮はどうだっけ?)、という点では珍しいでしょうし…
どこかで書いたような気もしますが、太史慈は実質的に孫家に服従していたとはいえ、対外的には孫家の協力者だったんじゃないかと考えてます。孫家というのは、とにかく家柄が悪いし、良い噂もないし、そんな孫家に太史慈が臣従したとなれば、太史慈の名士としての格がかなり落ちると思うんです。太史慈の名声を活用するために、同盟者として働いてたんじゃないかと。周瑜は明らかに臣従してますが、周瑜の名声の基盤は揚州。太史慈は青州。太史慈のような北来名士はほとんど同盟者の扱いで、例えば孫家が青州を制圧した時になって初めて、太史慈は孫家の顔で青州を統治するために、対外的(つまり、ここでは青州民に対して)にも臣従すると。それまでは、役立つかもしれないから協力者。張紘も協力者の体裁だったから、孫策の死の時、孫家を攻めようとする曹操を止めることができたんじゃないかと…。
どこかで書いたような気もしますが、太史慈は実質的に孫家に服従していたとはいえ、対外的には孫家の協力者だったんじゃないかと考えてます。孫家というのは、とにかく家柄が悪いし、良い噂もないし、そんな孫家に太史慈が臣従したとなれば、太史慈の名士としての格がかなり落ちると思うんです。太史慈の名声を活用するために、同盟者として働いてたんじゃないかと。周瑜は明らかに臣従してますが、周瑜の名声の基盤は揚州。太史慈は青州。太史慈のような北来名士はほとんど同盟者の扱いで、例えば孫家が青州を制圧した時になって初めて、太史慈は孫家の顔で青州を統治するために、対外的(つまり、ここでは青州民に対して)にも臣従すると。それまでは、役立つかもしれないから協力者。張紘も協力者の体裁だったから、孫策の死の時、孫家を攻めようとする曹操を止めることができたんじゃないかと…。
(PC)