26 巫俊(ふしゅん)
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(三国志博物館集解 赤龍さんによる書評)
渡邉義浩『「三国志」軍師34選』(PHP文庫、2008年)

三国志演義と正史の違いを強調して、三国志というとついつい豪傑に目が行くことを指摘。そして「名士」こそが軍師を輩出した階層であるとし、34人の知識人を紹介して漢末、三国、西晋にかけての歴史に「名士」が関係していたこと、世間一般で思われている以上に重要な局面で「名士」が歴史の流れに棹(さお)指したとする。

しかしながら、本書で前提になっている「豪族の台頭を抑えきれなかった前漢は王莽に滅ぼされた」や「西晋から南北朝にかけては貴族(制)の時代」という認識は、
マルクス主義を聖典とした戦後歴史学において、中国史の「発展段階」が西欧とは異なるという歴史的評価と「聖典」に沿って解釈するのが正しいはずだという認識の間の困惑を埋める為に用意された「漢代豪族社会」論や「六朝貴族制社会」論であるからして、
豪族や貴族という新興の階層が発展して漢代から南北朝時代へと以降していったする、豪族、貴族の存在によって時代の転換を説明する歴史観は、歴史の一部分を説明することはできたとしても、歴史の概略を示すものとしては今は成り立たないと巫俊は考えています。

それについては後述するとして、曹操、劉備、孫堅が反董卓連合に参加していたと序章に書かれているんですが、
先主伝注の『英雄記』に
会 霊 帝 崩 , 天 下 大 乱 , 備 亦 起 軍 従 討 董 卓 .
と書かれているとはいえ、演義の延長のように曹、劉、孫が連合に参加したと書くのはどうなんでしょうか?
本の後ろの参考文献は先生ご自身の著作で占められていて、他に歴史的背景を補完するような著作を書くにあたって参考にしなかったか、先生の記憶で書かれただろうことで、本の記述全体の中で示されたような「名士」の絶対的な影響力は相対化されるのではないか。
(PC)