26 飛燕
負け戦だと必ず評価が下がるということは、ちょっと固執しすぎでした。確かに、負け戦で評価が上がるときというのは有り得ますね。

前スレからの続きですが…

「名を売る=出世の為」と自分も考えてます。否定しているつもりはありません。

「優秀な人材=裏切るかもしれない」というのではなく、「(他人から見て)目的がはっきりしない=行動が予測不能」なのではないか?、ということを言いたいのです。信念でもって敵味方を区別し、戦をしていたら、おそらく彼は裏切ることはないでしょう。しかし、この時代にそういった、自分なりの正義感をもって生きるというのは甘っちょろくないですか?

>>25からすると、劉備は相当「名を売る」という一点に貪欲な気がします。それは「裏切り」という形も厭わない、というのは考え過ぎでしょうか?
(F900iC/FOMA)
27 飛燕
続きですが…

自分は、曹操暗殺未遂事件がこのことを示している気がします。彼は、これを成し遂げて、漢の救世主として、名を売るつもりだったんじゃないですか?名を売る為なら、恩人への裏切りも厭わないほど、彼は貪欲だったんじゃないですか?その貪欲さに目を付けて、董承らも計画を持ち掛けたのかもしれません。確かに、ある程度の信念は持ってたかもしれないですが、それは欲に負けてしまう程度のもの、ではないですか?

劉備が諸侯に受け入れられたのは、あくまで、びっくりするほど強くないという評価からの気がします。
何をしでかすかはわからないが、そんなに強くないから、すぐに揉み消せる。
かといって、弱いわけじゃ無いし、貪欲だから戦ではそこそこ使える。
そういう評価だったから、彼は受け入れられたと思います。
(F900iC/FOMA)
28 ヒロサトル
こんばんは。こちらでもよろしくお願いします。天草さんはじめまして。よろしくです。ご指摘の
"皇叔"につきましては、どうやら演義が出典の、創作とも取れそうです。また劉備の全国デビューも、陶謙に徐州牧を譲らてから、に間違いないと思います。ですが呂布に徐州を奪われ、曹操の元に身寄せてからは、朝廷から劉備に、曹操以上の地位が与えられ、さらには、献帝の曹操暗殺計画にまで荷担しています。それは劉備が、それだけ献帝に信頼が篤かった証しでしょう。後に劉備は
曹操に反旗を翻し、敗れてエン紹の元へ逃れる訳ですが、対呂布戦に於ける曹操との連合が、劉備には、曹操と対決する大義名分を得る契機となった事実は否めません。
その意味から、呂布が
死に際に叫んだ言葉はまさに、せい鵠を射ていたと言えるでしょう。
結局曹操は自ら、
劉備玄徳と言う尊皇攘夷の旗手を作り、天下統一の機会を逃してしまったのです。
(PENCK/au)
29 ヒロサトル
またここの議題の争点である、劉備玄徳が悪人か否かは、本当に難しい
問題です。私は呂布の、劉備に対する「お前が
一番の食わせ者だ!」の
言葉に、真理があるとは思いますが、
劉備の動機はどこまでも
「桃園の誓い」です。
それは関羽・張飛と共に、活躍すること―
その純粋な気持ちには、どんな野心も才能も結局は歯が立たないでしょう。


呂布には武力。
曹操には野心。
孫家には血筋。
孔明には知力。
そして劉備には、
自分自身…

もしかしたらこれが、
劉備玄徳と云う人物
引いては、
「正史」「演義」を含む、
三国志の結論なのでは
無いでしょうか?


すみません。そうすると結論は、
破綻しませんでしたね…
(PENCK/au)