27 諏訪
>>25-26
寿君さん、せっかくスレ移動していただいたのに、忙しくて書き込めませんでした。申し訳ありません。

さて、寿君さんが>>26で誤訳の可能性をご指摘されたので、『黄蓋伝』の原文を調べてみました。問題の箇所は以下の通りです。

「自春訖夏,寇亂盡平,諸幽邃巴、醴、由、誕邑侯君長,皆改操易節,奉禮請見,郡境遂清.」

これを、ちくま訳では以下のように訳しています。

「春から夏までの間に、反乱はすべて平定され、僻遠の地の巴・醴・由・誕などの部落長や酋長たちも、みなこれまでの蜀に対する忠誠を改めて、鄭重な礼を執って目通りを求めてくるようになり、武陵郡領内は、このようにして平穏になった。」

ちくま訳の「みなこれまでの蜀に対する忠誠を改めて」の部分、原文では「皆改操易節」とあります。
漢文の読解力には自信がありませんが、この文は「皆操ヲ改メ節ヲ易エ」と読むのだと思います。
「操ヲ改メ」も「節ヲ易エ」も同じような意味で、ようするに心を入れ替えたということだけで、武陵郡の異民族がそれまで蜀に対して忠誠を誓っていたというのは、ちくま訳の訳者の意訳ではないでしょうか。
従って、この文章から、黄蓋が関羽攻略後に武陵太守であったとは考えられないと思います。
(W51S/au)