>>25裴松之の意見と御自分の意見をわけてよく考えてください。
裴松之の注は、あくまで裴松之の意見であり、彼は205年生まれと考えている。それは
>>26の原文からも明らか。
朱家さんは、204年8月に結婚したから、205年に生まれたというのは根拠に欠ける。裴松之の文章は205年以降に生まれたとする根拠にしかならないと考える。
それはそれで最もなご意見ですが、だから裴松之は205年説ではないというのは論の飛躍。もしくは、自説に都合のいいように読みすぎです。まず自説ありきが強すぎると、史料がそうとしか読めなくなることはよくあることなので要注意ですね。