>>25まず私は、
歴史の区分の話しで、
孫堅を三国時代の人と
定義したのではない。
後漢皇室の権威が明らかに失われたのが、曹操に匿われてからの認識から、孫堅は三国時代の人と言うより、明らかに後漢の人であると主張したのである。何度も言うが、これについては私の認識の問題であり、賛同も
求めない変わりに、
否定も無用である。
ただ>>25には、
何故私が孫堅を後漢の人と主張するのかを、納得するまで私に尋ねることだけが許される。
それ以上は、私の思想の自由を奪う権利の侵害であり、憲法違反だ。
また孫堅の出自は、
正史の訳し方の問題であり、筑摩書房の正史三国志では、「おそらく孫武の子孫なのであろう」とあり、徳間書店の正史を編集した三国志Vには、「おそらく孫武の子孫であろう」とある。
また孫堅が流れ矢に当たって死んだ下りは、正史三国志の付属「典略」に、孫堅が黄祖を追撃中、
「黄祖の部下が木々の間に隠れて矢をはなち、
孫堅を射殺した。」とある。また付属「呉録」に、「孫堅はこのとき年は三十七であった。」とある。私の妄想などと、
とんでも無い。ただ正史の記述を写したまでだ。
(PENCK/au)