29 巫俊(ふしゅん)
>>28
具体的な根拠に欠けていたら、全然駄目じゃないですか。^^
それでは解釈しだいで結論が揺らぐということですから、もう少し粘って考える必要があります。
まず『日本書紀』ですが、だれがつくったのか?奈良時代の日本国家の知識人がつくったんです。
卑弥呼の時代のことを新しい日本国家は正確に伝承しているのか?全然してないですね。

3世紀の倭国の記録を全然伝承してないから、神功皇后と卑弥呼が結びつけられているんですよ。
第一、神功皇后の子と称される応神天皇は5世紀の倭の五王の時代に近い年代の人物とされていますから。

『日本書紀』は日本国家に臣従する中国知識人の手を経て編纂された漢文史料ですから、陳寿の『三国志』は史書として参考にされていて当たり前なんですね。
『三国志』は奈良時代には舶来されていましたし、『日本書紀』にも引用されている。

『三国志』に卑弥呼の名前が記録されているのに、日本国家はその時代の歴史を伝承していないとすると、
開祖神武天皇は春秋時代の人であると自称していた当時の日本国家の面目が丸つぶれなんですね。

だから、神功皇后という女性の主権者を持ち出して、『三国志』の卑弥呼のことであると歴史を作為したのだと私は考えています。
(PC)