3 ストラップ
>>2
転載である事を理由に
「昭烈皇帝を賛う」
と書きたかったのだと言われていますね。

しかしそう考えると、麋芳などの人が入っているのもそうですが、「季漢輔臣賛」の「輔臣」の意味するところに謎が起こりますよね。
昭烈帝は「季漢」を輔けた臣なのか?もしそういう意味で良いのならば、「季漢」の始まりは、いつからなのか。
「季漢」の始まりを、章武元年以前と見るべきなのでしょうか?
(F2102V/FOMA)
4 しす
>>3
受け売りで申し訳ありませんが『三国志集解』で廬弼がそれを指摘してますね。
「輔臣」ではなく「君臣」の間違いではないかと。
叛臣も含まれているので輔臣というのはおかしいと疑問を提示してるようですね。

一方で楊戯の言う季漢の始まりとは献帝が曹操によって許に迎えられた建安元年とする見方もあるようですが。
いずれにせよ『季漢輔臣賛』という表題に関しては謎が残る気がします。

まぁもっとも、それすらも「官位と名声は常に趙雲の次にあり」とまで書かれた人物が立伝はおろか、この季漢輔臣賛以外に記述がないってことの方が謎ですが。

ところで本来ここで語られるべき人達はマイナーな人達が多くはなるのでしょうが、ただ一人だけ…王甫だけは演義でかなり印象的な人物として描かれていますよね。
関羽の部下として周倉に劣らぬ忠臣として脚色をなされているのが気になる人物です。
馬岱や厳顔と並んでいい意味でいじられた…悪く言えばデタラメな活躍をした人物かもしれませんね。
(PC)