3 大伴
まぁ別のスレッドがありますから、跡目争いはここでは語らぬ事にして……
やはり代表例としては、
魏延と楊儀
李厳と孔明
の二つでしょうか。
費イと姜維も、仲は悪かった様な印象を受けますね。
やはり代表例としては、
魏延と楊儀
李厳と孔明
の二つでしょうか。
費イと姜維も、仲は悪かった様な印象を受けますね。
(F2102V/FOMA)
6 大伴
孔明は数度の北伐を行っていますが、このうち戦術レベルでの戦闘で成功を納めたのは、第三次だけだと言って良いでしょう。魏延、王平という良将を用い、司馬懿を散々に打ち負かしています。しかし孔明は撤退を余儀なくされました。それは、補給を担っていた李厳が、物資を送らなかったからです。
孔明は李厳を、「自己の保身につとめ、国事を憂える事はなかった」と評していますし、利己主義だった事が伺い知れます。
彼はこれ程の罪を侵しても、断罪される事は無く、地位の剥奪と梓潼に流されるだけで済みました。これは孔明と仲が良かったからなどでは無く、彼の派閥に配慮した為ではないでしょうか。
孔明は李厳を、「自己の保身につとめ、国事を憂える事はなかった」と評していますし、利己主義だった事が伺い知れます。
彼はこれ程の罪を侵しても、断罪される事は無く、地位の剥奪と梓潼に流されるだけで済みました。これは孔明と仲が良かったからなどでは無く、彼の派閥に配慮した為ではないでしょうか。
(F2102V/FOMA)
7 天草
伝の最後にある、諸葛亮は自分をいつか呼び戻してくれるだろうと…という記載に、泣いて馬ショクを斬るような感じだったのかと思ってましたが、良く読んだら、自分の失敗を諸葛亮のせいにしたり、足の引っ張り合いを演じてるみたいですね。
李厳は益州の名士だったみたいですから、その人事には諸葛亮も悩んだでしょうね。
李厳は益州の名士だったみたいですから、その人事には諸葛亮も悩んだでしょうね。
(PC)
8 大伴
恐らく孔明は、派閥間のバランスなどを考慮して、人事を行っていたと思います。特に荊州を失ってからは、荊州出身者と益州出身者との関係に悩んだのではないでしょうか。
孔明が李厳を呼び戻す……という考えも、彼の派閥を孔明が意識していた事に起因するものと、私は考えます。
孔明が李厳を呼び戻す……という考えも、彼の派閥を孔明が意識していた事に起因するものと、私は考えます。
(F2102V/FOMA)