32 赤龍
函谷関の東遷は、漢の武帝の時ですよ。
『中国歴史地図集』は非常に便利な資料ですが、これの欠点は等高線が書かれていないこと。つまり、実際の地形がイメージできない。そのため、そうした地理・地形に基づいた理解がしづらいということです。
等高線のある地形図を参照すると、函谷関の位置云々以前の問題で、河東郡の中心地域が関中盆地とひとつづきの場所に位置することがわかります。そして、河南、河内とは山によって隔てられていることが。
河東郡の豪族達が、馬超ら関中諸将と行動を共にしたことは、単純な行政区分や地図の平面的理解でなく、実際の地形・地理の問題をふまえなくてはいけません。
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