32 元歎
王襃の身長が八尺四寸。王脩伝注引王隱晉書に『身長八尺四寸,容貌絶異.』とあります。王襃は王脩の孫です。
管寧は身長が八尺。管寧伝に『長八尺,美須眉.』とあります。
崔エンの髭の長さが四尺。崔エン伝に『エン聲姿高暢,眉目疏朗,鬚長四尺,甚有威重,朝士瞻望,而太祖亦敬憚焉.』とあります。曹操も遠慮して敬意を示すほどの威厳だったようです^^; (原文、ちょっと携帯だと表示されないかもm(__)m )
何キは身長が八尺三寸。何キ伝に『長八尺三寸,容貌矜嚴.』とあります。
また、何キの曽祖父である何熙の身長が八尺五寸。同じく何キ伝の注引華[山喬]漢書に『身長八尺五寸,體貌魁梧,善為容儀.』とあります。
司馬儁(司馬朗の祖父)の身長は八尺三寸、腰まわりは五尺。司馬朗伝注引司馬彪序傳(『続漢書』)に『長八尺三寸,腰帶十圍,儀状魁岸,與?有異,』とあります(圍は囲のことで、囲は五寸)。高島俊男さんによると、九囲とか十一囲というのはないから太い人のことを十囲と言うそうです(許チョもそうですね)。
[言焦]周の身長が八尺。[言焦]伝に『身長八尺,體貌素朴,』とあります。
陳化の身長が七尺九寸。呉主伝注引呉書に『長七尺九寸,雅有威容.』とあります。
孫韶の身長が八尺。孫韶伝に『身長八尺,儀貌都雅.』とあります。
朱然の身長は七尺に満たない。朱然伝に『然長不盈七尺,』とあります。
曖昧ですが、司馬朗の父方母方の親類が代々大柄です。司馬朗伝に司馬朗が『朗之内外,累世長大,』と言ったとあります。
あと、人ではありませんが…ある人が蝦(エビ)には鬚が一丈(約2m40cm)もあるものがいると滕脩に言ったが、滕脩は信じなかった(そりゃそうだ^^;)。それで、その人は鬚の長さが四丈四尺もある蝦を手に入れて滕脩に送りつけて、滕脩は自分の誤りを認めた…という逸話があります。呂岱伝注引王隱交廣記に『吳後復置廣州,以南陽滕脩為刺史.或語脩蝦鬚長一丈,脩不信,其人後故至東海,取蝦鬚長四丈四尺,封以示脩,脩乃服之.』とあります。
…ちょっと愛想のない書きこみでしたかね^^;
管寧は身長が八尺。管寧伝に『長八尺,美須眉.』とあります。
崔エンの髭の長さが四尺。崔エン伝に『エン聲姿高暢,眉目疏朗,鬚長四尺,甚有威重,朝士瞻望,而太祖亦敬憚焉.』とあります。曹操も遠慮して敬意を示すほどの威厳だったようです^^; (原文、ちょっと携帯だと表示されないかもm(__)m )
何キは身長が八尺三寸。何キ伝に『長八尺三寸,容貌矜嚴.』とあります。
また、何キの曽祖父である何熙の身長が八尺五寸。同じく何キ伝の注引華[山喬]漢書に『身長八尺五寸,體貌魁梧,善為容儀.』とあります。
司馬儁(司馬朗の祖父)の身長は八尺三寸、腰まわりは五尺。司馬朗伝注引司馬彪序傳(『続漢書』)に『長八尺三寸,腰帶十圍,儀状魁岸,與?有異,』とあります(圍は囲のことで、囲は五寸)。高島俊男さんによると、九囲とか十一囲というのはないから太い人のことを十囲と言うそうです(許チョもそうですね)。
[言焦]周の身長が八尺。[言焦]伝に『身長八尺,體貌素朴,』とあります。
陳化の身長が七尺九寸。呉主伝注引呉書に『長七尺九寸,雅有威容.』とあります。
孫韶の身長が八尺。孫韶伝に『身長八尺,儀貌都雅.』とあります。
朱然の身長は七尺に満たない。朱然伝に『然長不盈七尺,』とあります。
曖昧ですが、司馬朗の父方母方の親類が代々大柄です。司馬朗伝に司馬朗が『朗之内外,累世長大,』と言ったとあります。
あと、人ではありませんが…ある人が蝦(エビ)には鬚が一丈(約2m40cm)もあるものがいると滕脩に言ったが、滕脩は信じなかった(そりゃそうだ^^;)。それで、その人は鬚の長さが四丈四尺もある蝦を手に入れて滕脩に送りつけて、滕脩は自分の誤りを認めた…という逸話があります。呂岱伝注引王隱交廣記に『吳後復置廣州,以南陽滕脩為刺史.或語脩蝦鬚長一丈,脩不信,其人後故至東海,取蝦鬚長四丈四尺,封以示脩,脩乃服之.』とあります。
…ちょっと愛想のない書きこみでしたかね^^;
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