33 赤龍
連続ですいません。
『三国志集解』調べてたら、またもや困った記事が。
魏志常林伝の注の『魏書』に、吉茂という人物が武徳侯の庶子(官名だそうです)になり、建安22年(217)一族の吉本の事件に連坐して逮捕されたと書かれています。これを信じると曹叡は建安22年すでに武徳侯であったことになり、206年生まれの根拠である、220年に15歳で武徳侯に封ぜられたというのも怪しくなってしまいます。
さらに、吉本らの反乱は武帝紀によると建安23年(218)正月。もしこの年の頭武徳侯になり、同時に常林がその庶子となり、直後吉本の反乱とすれば、かなりのハードスケジュールですが、ぎりぎり204年生まれで、15歳に武徳侯というのが辻褄があってしまう。
なにが正しいのかどんどん分からなくなってくる。いったいこの人なんなんでしょうね(笑)
(PC)