35 元歎
>>33で言っている対呉戦線というのは、魏を滅ぼした後のことですか?
>>34関羽が趙雲より適任であったというのは大賛成♪(また、この二人の優劣ですね・笑) ただ、一位が諸葛亮というのは…。彼はあくまで補佐役だと思います。関羽が魏を攻めて、諸葛亮が呉を宥める。これが当初の予定だったんでしょうね(諸葛亮じゃなく、ホウ統かもしれない)。

天下三分の計。僕は、三顧の礼のとき諸葛亮は天下を統一するための国家戦略を話したのだと思います(仮に天下統一の計として…。単純ですけど・笑)。目標は天下統一であったけれども、結果的に、三分されたまま劉備も諸葛亮も世を去ってしまいます。つまり、諸葛亮が提示した天下統一の計は実現することができませんでした。しかし、歴史家が諸葛亮の偉大さを伝えるのに、成功しなかった天下統一の計を書いても仕方がない。そこで、あたかも天下三分の計が提示されたように見せかけ、しかもそれは実際に成功したんだ、というような感じで諸葛亮の株を上げようとしたのだと考えます。僕がこう考えるのは、天下が三分された状態で終わっても劉備とっては何の意味もないということと、馬超・張魯・劉璋・劉表(荊州劉氏)・士燮といるのに、なぜ三分なのか(特に馬超の存在。士燮は考えない方が良いかもしれない)、ということです。
うーん、ひねくれた見方かもしれません。ちなみに、今この考えにたどり着いたばっかですf^_^; もう一度、考え直してみないといけませんね^^
(PC)