35 ヴらど
確かに、諸葛亮の本分は戦闘にはあるとは考えにくいです。しかし、もしもを考えるとやはり、第一次北伐はショクにとっては中原へ打って出られる可能性は一番高かったと思います。どちらにせよ、街亭を守り切れていたならば、ですが。 また私見ですが陳倉やその次の北伐は第一次北伐とは意味合いが違っていたのではないかと思います。陳倉からの撤退後、翌年出兵して涼州南部を制圧しているので北方の防衛強化にその意義を置いていたのではないかと。そう考えると、諸葛亮の本分は行政や長期的な戦略にあったのだと思われます。その点では第一次北伐では趙雲という前線を任せられる人物も存在していますから諸葛亮が直接戦闘指揮をそこまでとる必要はなかったことを考えても、関中全土とはいかなくても、最悪涼州までは制圧できたのではないでしょうか。
(N701i/FOMA)