35 三国志○
しすさん!素晴らしいご返答ありがとうございます☆☆スレが移動になったのと返答が遅れたのをまずお詫びします↓僕自身の三国志はまだまだ狭く浅はかですがどうぞまたご教授のほど…。しすさんの姜維に関する返答ですが、無血開城ですか?僕自身の政治的観念からみるなら、確かに判断自体は間違ってはいないでしょうね、しすさんの言われている事も理解できます、五斗米道の教祖張魯なんかもほぼ本土決戦などにおいては無血開城に近い形なので、曹操などからも評価されているものだと思いますたしかに、圧倒的国力差213年頃の統計でこれが正しいかはわかりませんが蜀の兵士の最大動員数が5万人に対し魏は30万人さらに孔明没後の時にはさらに差は開いていたと思います、数字で見ても一目で圧倒的に不利確かに無謀!ですが蜀という国、軍事国家と言われていますが地縁や血縁関係を重視していた漢民族の社会の中で、劉備の時代の頃現代の僕とかでも理解しやすい友情や義理によって形作られていた組織が苦難を得て蜀という、国家にまでなったのにその最たる長子が無血開城?!たしかに『勝算なきは戦うなかれ』ですが!それはあまりにも蜀の散っていった同朋に対して酷な結果なのでは?僕の中の、姜維は上記のような友情や義理、劉備の時からなる基盤をよく理解していたように思うのです…。全体を見る君主たる劉禅の判断→圧倒的不利→降伏ってトコですが君主としては○なんでしょうがこの時代『特に蜀』を統括する者としては×だと思います☆まぁ現代の僕からすれば戦争で人が死ぬ事自体が極めて遺憾でありおかしいとは思うものの当時の蜀〈劉備や関羽や孔明その他から受けつがれてきた〉の志を無視した政治的決定は、納得がいきません!かなり感情論+推論ですが姜維は 将軍としては○蜀(いわゆる蜀時代後期、孔明死後のメンバー)としては×ですが、一人の男としては大いに◎これも正史に詳しくない若輩者の意見ですが蜀という国の根底をよく考えて頂きたく思います。これが現代や政治的いわゆる話し合いなどで決着がつく時代なら姜維は狭い所しか見えてない人でしょうが、これは三国時代、戦争を抜きには語れない時代の話しです!!『一人の男子に生まれながら本懐を遂げられぬとは…』ぐらいじゃないと!だから当時の時代としては姜維は〇三国終焉してからの陳寿や平穏な時になってからの評価では×でしょうかね!しすサン今後とも宜しく!
(V903SH)