35 諏訪
>>32
黄蓋が長沙郡の反乱も平定していますから、四郡全て孫権に譲られたのだと思います。

劉備が自力で攻め取ったといっても、>>31で述べたように、周瑜がいればこそですし、孫権が曹操と戦わなければ、劉備は地盤を手に入れるどころか、曹操に滅ぼされていたかもしれません。
周瑜が曹仁相手に苦戦している間に劉備が手に入れた四郡の領有を素直に認める方が、よっぽど劉備にとって都合のいい話だと思います。
後に孫権が、周瑜が手に入れた南郡まで劉備に貸したのは、気前がよかったからでしょうか。そうする方が都合がよいと判断したからでしょう。
同様に、劉備が四郡を譲ったのも、単に気前がいいということではなく、情勢上仕方なかったのだと思います。

>>34
どこが辻褄が合わないのか、具体的に教えていただけませんか。
(W51S/au)