35 朱家
赤龍さんありがとうございます。
「206年は武徳侯の根拠があるが、裴松之の205年は根拠がない」これだけで良かった…気を付けなければなりませんね。

曹殷は翌年に死んでます。232年だと確か娘も死んでましたね。ダメージが大きそうです。
さて、218年に武徳侯だとすると、与えたのは曹操ですよね?曹叡が20才ぐらいや、次期継承権を持ってるなら不思議ではありませんが、若年での爵位は有り得るのでしょうか?与えるなら曹丕だろうとの先入観があって、否定できるとすれば15才の方だろうと思ってたので、ちょっと驚きですね。
(W32K/au)