35 巫俊(ふしゅん)
陥陣という言葉は、少なくとも戦国時代からある言葉です。
陥陳(ちん)とも書くことがあります。
例えば『管子』という戦国時代の斉国で編纂された諸子百家の思想書にその語が出てきます。
陥陣と言う言葉が史書の中で流行していたことは司馬遷の『史記』を読んでいても分かります。
『史記』には例えば漢の高祖に仕えたハンカイという張飛みたいな豪傑の事績を記す場面で、「陥陣した」と出てきます。
とくに勢いのある場面で使う言葉なのかもしれません。
そして『後漢書』や『晋書』といった文献にも陥陣という言葉は普通に使われています。
ただし私が確認した限りでは、渾名や官職の名前で出てくる陥陣は『三国志』の本文、注釈と『後漢書』の引く『英雄記』の高順の事績の部分だけでした。
なお、唐代には衝車のことを陥陣車といったようです。『左伝正義』という唐代の文献に出てきます。
それから『三国志』の引く『英雄記』では高順を陥陳(ちん)営と呼んでいますのでご注意ください。
ただし私が確認しているのはnetの台湾(中央研究院)版の『三国志』です。
私見を言えば、高順だけ陥陳営という渾名で呼ばれるのは何か違和感があります。知られている高順の性格の多くは『英雄記』という英雄伝説的な内容を記す文献に書かれているので、どうも脚色があるのかもしれませんし、そうでなくとも「陥陳営」という渾名をわざわざ記すのは『英雄記』の作者の好みなんでしょう。
だから渾名があることで高順がほかの誰よりも突撃力のある武将であるということにはならないですし、渾名がたとえ物語として創作されたものであったとしても、高順に武勇がなかったという観念を抱く必要はありません。
実のところ史料を吟味すればするほど、高順がどんな人かは分からなくなるものです。
しかし高順はこうであるはずだ、という白圭さんの信念が正しいと認められるには、史料を解釈して自分の意見を示す必要があります。
信念だけをおっしゃられても歴史家的な立場からは信じて差し上げることができません。
心情を理解して差し上げることはもちろんできますし、掲示板では必要な態度です。
陥陳(ちん)とも書くことがあります。
例えば『管子』という戦国時代の斉国で編纂された諸子百家の思想書にその語が出てきます。
陥陣と言う言葉が史書の中で流行していたことは司馬遷の『史記』を読んでいても分かります。
『史記』には例えば漢の高祖に仕えたハンカイという張飛みたいな豪傑の事績を記す場面で、「陥陣した」と出てきます。
とくに勢いのある場面で使う言葉なのかもしれません。
そして『後漢書』や『晋書』といった文献にも陥陣という言葉は普通に使われています。
ただし私が確認した限りでは、渾名や官職の名前で出てくる陥陣は『三国志』の本文、注釈と『後漢書』の引く『英雄記』の高順の事績の部分だけでした。
なお、唐代には衝車のことを陥陣車といったようです。『左伝正義』という唐代の文献に出てきます。
それから『三国志』の引く『英雄記』では高順を陥陳(ちん)営と呼んでいますのでご注意ください。
ただし私が確認しているのはnetの台湾(中央研究院)版の『三国志』です。
私見を言えば、高順だけ陥陳営という渾名で呼ばれるのは何か違和感があります。知られている高順の性格の多くは『英雄記』という英雄伝説的な内容を記す文献に書かれているので、どうも脚色があるのかもしれませんし、そうでなくとも「陥陳営」という渾名をわざわざ記すのは『英雄記』の作者の好みなんでしょう。
だから渾名があることで高順がほかの誰よりも突撃力のある武将であるということにはならないですし、渾名がたとえ物語として創作されたものであったとしても、高順に武勇がなかったという観念を抱く必要はありません。
実のところ史料を吟味すればするほど、高順がどんな人かは分からなくなるものです。
しかし高順はこうであるはずだ、という白圭さんの信念が正しいと認められるには、史料を解釈して自分の意見を示す必要があります。
信念だけをおっしゃられても歴史家的な立場からは信じて差し上げることができません。
心情を理解して差し上げることはもちろんできますし、掲示板では必要な態度です。
(PC)