35 大伴
岩波版の後漢書、霊思何皇后伝には、李儒の役職「郎中令」の説明として、注の最後に、「秩は千石」とありますが、私は他の役職に比べて安過ぎる様に感じます。
注は正しいのでしょうか?
(F2102V/FOMA)
36 赤龍
令とつく官は、どれも千石以下。尚書令でさえ千石。妥当な位置だと思いますが。
(J-SA05)
37 赤龍
郎中令、後漢の官制ではどこに位置するかわかります?後漢書百官志眺めたんですが見つからなくて。ちくまの正史巻末の職官表に、尚書台の中に郎中はみつかるんですが。
(J-SA05)
38 大伴
「官は光禄勲の如し」と、注にはあり、その役の以前の名の様に解説されていたのですが……
(F2102V/FOMA)
39 大伴
>>35-37
その解説は、職務の内容が光禄勲と同じ、という意味で書いてあるだけで、位自体が同じ、という意味では無いという事でしょうか?
(F2102V/FOMA)
40 大伴
手元の辞典(角川書店)で「郎中令」を調べてみました。

秦代の官名。九卿の一。宮殿の門戸をつかさどり諸郎官をすべたもの。漢の武帝が光禄勲と改めた。


益々クエスチョンの嵐です。漢には無い役職なのでしょうか?
(F2102V/FOMA)
41 赤龍
私も混乱してます。なぜ秦代の官名が?光禄勲に名を変えたのに、なぜ郎中令もあるのか?光禄勲は中二千石だし。当時光録勲は趙謙が任じられてたみたいだし。百官志の光禄勲の箇所にも記述無し。どういう地位だったのか?
(J-SA05)
42 赤龍
もし九卿のひとつだったら、李儒は涼州時代からの董卓の部下でなく、政権を握った後董卓に近寄った朝廷の人間という可能性も。
ちなみに秦の郎中令と言われ、思い出すのが宦官の趙高。悪役としてのポジションはぴったり?(笑)
(J-SA05)
43 大伴
筑摩版三国志の付録、三国官職表の光禄勲府の項目に、光禄勲卿は、

黄初1(220年?)に郎中令より改称

という記述を見つけました。しばらくはこの名を使っていたのでしょうか?
(F2102V/FOMA)