35 大伴
岩波版の後漢書、霊思何皇后伝には、李儒の役職「郎中令」の説明として、注の最後に、「秩は千石」とありますが、私は他の役職に比べて安過ぎる様に感じます。
注は正しいのでしょうか?
注は正しいのでしょうか?
(F2102V/FOMA)
40 大伴
手元の辞典(角川書店)で「郎中令」を調べてみました。
秦代の官名。九卿の一。宮殿の門戸をつかさどり諸郎官をすべたもの。漢の武帝が光禄勲と改めた。
益々クエスチョンの嵐です。漢には無い役職なのでしょうか?
秦代の官名。九卿の一。宮殿の門戸をつかさどり諸郎官をすべたもの。漢の武帝が光禄勲と改めた。
益々クエスチョンの嵐です。漢には無い役職なのでしょうか?
(F2102V/FOMA)
41 赤龍
私も混乱してます。なぜ秦代の官名が?光禄勲に名を変えたのに、なぜ郎中令もあるのか?光禄勲は中二千石だし。当時光録勲は趙謙が任じられてたみたいだし。百官志の光禄勲の箇所にも記述無し。どういう地位だったのか?
(J-SA05)
42 赤龍
もし九卿のひとつだったら、李儒は涼州時代からの董卓の部下でなく、政権を握った後董卓に近寄った朝廷の人間という可能性も。
ちなみに秦の郎中令と言われ、思い出すのが宦官の趙高。悪役としてのポジションはぴったり?(笑)
ちなみに秦の郎中令と言われ、思い出すのが宦官の趙高。悪役としてのポジションはぴったり?(笑)
(J-SA05)
43 大伴
筑摩版三国志の付録、三国官職表の光禄勲府の項目に、光禄勲卿は、
黄初1(220年?)に郎中令より改称
という記述を見つけました。しばらくはこの名を使っていたのでしょうか?
黄初1(220年?)に郎中令より改称
という記述を見つけました。しばらくはこの名を使っていたのでしょうか?
(F2102V/FOMA)