36 大伴
韓浩は中領軍まで出世しますしね。曹操惟幕として良い仕事したみたいですよ。

しかしそれよりも私が注目したいのは、

東阿太守 棗祗(そうし)

ですね。(以下、程イク伝、任峻伝注より)彼は呂布の乱の際も呂布になびかずに東阿を守った人で、そこを良く治めていた様です。後に大軍の食料が欠乏した時、東阿からの物資でつないだとあります。屯田のやり方について苟イクと議論させたが、苟イクは侯声の意見を支持した様ですが、棗祗は綿密な計算から導いた自分の意見を譲らなかった様です。そして棗祗に任せてみたら非常に上手くいったとあります。しかし彼も又、早死にした様ですね。
(F2102V/FOMA)