36 赤龍
>>35
>>32でも触れてますが、四郡侵攻とほぼ同時期に、劉表の子劉キを荊州刺史とし、荊州領有の名分を立ててますよね。孫権に対して荊州の領有権を主張する意味もあったと思えるこの方策も、全く意味をなさなかったのでしょうか?
また、先主伝の直後の文の、盧江の雷緒の帰順も、おそらく劉備がおとなりでそれなりの実力を身につけたからですよね。
得たばかりの勢力基盤を、さっさと孫権に譲るしかなかった劉備に、わざわざ楊州の勢力まで帰順するだろうか?という疑問も感じます。
(PC)