37 赤龍
孫コウ伝の記述の順は
○濡須の対曹操戦
○程普にかわり夏口の督に
○黄蓋、孫瑜の死後、その配下の兵を指揮

諏訪さんの説では、黄蓋の武陵太守の期間は210年以前。
濡須での戦いはその後であり、程普が死ぬのも、荊州分割後とすれば215年頃。
孫瑜の死も215年。

「在官のまま死」というのが武陵太守を指せば、黄蓋の死から、孫コウに兵を与えられるまで、空白期間が長すぎませんか?孫瑜との並列からも、孫瑜と近い時期に死んだと考える方が自然に感じます。
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