39 巫俊(ふしゅん)
>>38
いえいえ、諏訪さんが二人説を支持されているということではなくてですね、最近の諏訪さんの考えを拝見していますと「確実であるか」ということに留意されている箇所がとくに目立つものですから、私としては確実さに焦点を合わせるばかりに終始するのもつまらないと思っていまして、いえ諏訪さんが終始されていると言っている訳でもないのですが、ひとつの史料を整理して精査するということが終わればそれで良しとして史料から裏づけられないことについては口をつぐむというのもつまらないと常々思っているものでして、この場を借りて厳格な史料精査と大胆な想像力の許容という両極端の事柄を同時にmasterすることの大切さこそ世間に説きたいと思っているのです。

ええ、蔡卞です。携帯の機種によってはPCで普通に使える字体が、勝手に全然違う字に置き換わって表示されたりしたことがあります。だから私はついつい字体には警戒してしまうんですけどね。
この章惇という人は建州の出身ということですが、建州(今の福建省)が本格的に漢化し、漢人の入植者集団が面的に殖え、中央の高級官僚にも福建人が名を連ねるのってこの宋代くらいからなんですよ。
私は王朗、孫呉、両晋といった政権の「南進」、入植や略取という極めて政治的立場な展開によって中国文化が南下したり、或いは南から北の本土の文化や社会までが大きく変容していく、揺れ動いていくという数百年や数千年を単位とした歴史の変化に興味をもっていましてね、日本の歴史にしても倭寇であるとか南方との貿易であるとかで成立していますから、中国という文化集団、国家が東南アジアに向かって南進していくということの歴史的な意味は三国志ファンとしても見過ごせないと思っている訳ですよ。
なんせ孫呉の歴史的影響力という点では、江南の開発ということだけでなく、この建州という都邑の開発もまた、孫呉によって基礎がつくられたのです。
詳しくは別にスレを求めるとして。

こうした点からすると一人か二人かということばかりを気にしてられないというのが本音です。
(PC)